sweetie
絶対に言えない秘密がある。
絶対に絶対に、墓場まで持っていくべき秘密だ。
仕事から帰ってきた私は、疲れた体をソファーに投げ出して、両耳に無線イヤホンを突っ込んだ。
スマートフォンを操作してイヤホンに接続し、通話記録を再生する。
『今、家にいるか?』
イヤホンから聞こえる低い声が耳を痺れさせる。
思えば初めて彼の声を聞いたのは、暗点について調べている時に極秘に入手した、とある音声だった。
その時から、彼の声が妙に特徴的だと、耳に残っていたのだ。
そのたった一言ですら、繰り返し聞いた。もちろん、『彼』という人を調べるため、というのが大きかったけれど、繰り返し聞いているうちに惹かれてしまった、とでも言うべきか。
これが私の抱える、墓場まで持っていく秘密だ。
彼の声を録音して、こうしてひっそり聞いているなんて、絶対に誰にも言えない。
はずだったのだが、私はどこまでも詰めが甘いというか、油断していた。
その日も彼の声を聞こうと、スマートフォンから通話記録を選んでいた。
選んだのは、二ヶ月ほど前、私がとある仕事を終えたあとの電話だ。
どこから聞きつけたのか、彼は私が大仕事を抱えているのを知って、まさに終えた日の夜に心配してくれたのだ。
『今度、気晴らしにパーティーにでも行くか』
彼の言う『パーティー』が気晴らしなんかではないことを私はよく知っている。
だからそれは丁重にお断りして、結局今日までどこにも行けていない。
彼とどこかへ出かけたいわけではないけれど、気晴らしがしたいのは事実だ。
思えば、彼と示し合わせて出かけたことはない。
出かけた先でなぜか遭遇して、ついでに旅行をして帰って来る、ということは何度かあったけれど。
そんなことを考えていると、彼の声を遮って、スマートフォンが着信を告げた。
知らない番号だったら無視してしまおうか、と画面に目をやったところで慌ててソファーから飛び起きる。
今まさに声を聞いていた彼からの着信だった。
「も、もしもし!?」
つい声が上擦ってしまう。
「何をしていた?」
「何って……?」
「出るまでに随分時間がかかったし、妙に息切れしているようだが」
「そ、そうかな。ちょっと、ドラマを見てて」
だからイヤホンを繋いでいて、突然電話がかかってきたからびっくりしちゃって、と聞かれてもいないことをしどろもどろに答える。
電話の向こうの彼が怪訝に眉を顰めているであろう様子が目に浮かんだ。
「まあいい。仕事の同行を頼みたい。とある『パーティー』に潜入することになる」
パーティー、という言葉に心臓が跳ねる。
ついさっきまで聞いていた電話の内容を思い出しそうになる。
「何をすればいいの?」
「今回は俺の仕事がメインだ。お前は何もしなくていい。気晴らしだと思って楽しめ」
もちろんコアの情報も多少は出回るだろうから調べたければ好きにしろ、と彼は続けるが、私の頭にはほとんど入ってこなかった。
彼は本当に私を監視していて、今私が何をしていたかも知っているのではないか、と冷や汗が流れる。
「聞いてるのか?」
「き、聞いてるよ。気晴らしにパーティーにでも行こうって話でしょ。さっき言ってたみたいに」
「……さっき?」
やらかした、と更に汗が吹き出る。
言葉も出てこなくなり、しばし無言が続いた。
「あ、あはは、寝惚けてたかなー……」
「ドラマを見ていたんだろ?」
「そ、そう! ドラマの話とごっちゃになっちゃって!」
どうか騙されて、と祈りながら口から出任せを繰り返し、嘘に嘘を重ねていく。
すると電話口で、彼は鼻で笑った。
「そういえば二ヶ月以上前、お前が協会の大仕事を終えた後に、そんな話をしたな?」
「そうだっけー?」
わざとらしくとぼけると、今度は軽い溜息が聞こえた。
「近々、N109区まで来い。聞きたいこともあるしな」
「え」
拒否を示す間もなく、無情にも電話は切られた。
電話を切った直後、先程一時停止されていた彼の録音が再び自動で再生されて、私はついにスマートフォンを放り投げた。
もしかしたら彼にバレたかもしれない。
怒られるか、呆れられるか、引かれるか。
最悪の場合、私ごと消されるかもしれない、と怯えながら、その日はベッドに潜り込んだ。
どうせ罰を受けるなら、傷は浅いほうがいい。
翌日、私は早速シンの基地を訪れた。
何度も来て慣れているはずなのに、今日ばかりは気も足も重かった。
扉を開けようとして、手を引っ込める。
そんなことを三度繰り返したところで、ついに扉のほうから開いた。
「さっきから何をしてるんだ」
「気付いてたの?」
「中から見えるからな。何をそんなに躊躇することがある?」
手を引かれ、基地の中に踏み入れる。
ローテーブルを囲むようにソファーに座り、後日行くはずのパーティーの打ち合わせが始まる。
今回はあくまでも『潜入』だ。
シンがそこにいた痕跡をあまり残しておきたくない、という話だった。
会場ごと爆破でもすれば早いが、とシンは面倒そうに言う。
それをしないのは、パーティーの主催者か、あるいは招待客の中に、まだ利用価値のある人間がいるからだろう。
「痕跡といえば」
シンはふと顔を上げて、こちらを真っ直ぐ見つめてきた。
面白いものでも見るかのように、僅かに眉を上げている。
「立場上、些細な電話であっても、俺の声や痕跡を残しておくのはよくないんだがな」
「そ、そうだね」
何のことを言われているのか、すぐに察しがつく。
また冷や汗を背中が伝っていった。
「それなのに、俺からの電話を堂々と録音している奴がいるらしい」
「へ、へえー……」
深紅の双眸が細められる。
目を逸らしたら負けだ、と思う反面、目を合わせたくない、とも思う。
その結果、わかりやすく目線が泳いでしまった。
「で、俺の声で自慰をしていたと」
「自慰はしてない!」
ソファーから勢いよく立ち上がって否定すると、シンは楽しそうに喉を鳴らした。
「……白状したな」
やってしまった。全身から血の気が引いていく。
ゆっくりとソファーに座り直したところで、シンは片手をこちらに差し出した。
「スマートフォンを出せ」
「……何するの?」
「全て消す」
「えー!」
途端に眉を顰めてこちらを睨む様子に、抵抗できずにスマートフォンを差し出した。
シンは何食わぬ顔でロックを解除し、慣れた手つきで画面を操作していった。
数分後、こちらにスマートフォンを返される。
「ほら、全部消したぜ」
「はい……」
画面には『初期化しました』の文字が出ている。
録音データを消すだけじゃなく、全てのデータを消されてしまった。
スマートフォンを受け取りながら、小さく溜息が零れる。
家に帰ればバックアップがあるから、そこまで物理的なダメージはないが、シンに拒否されたようで少なからずショックだった。
「バックアップも全部消しておけよ」
「どうして知ってるの……」
本当にあるのか、とシンが呆れたような顔をする。
ソファーの肘置きに頬杖をつき、気だるそうに、けれど柔らかく微笑んだ。
「そんなに俺の声が好きなら、いつでも電話しろ。電話越しでも、直接でも、どれだけだって好きな言葉を囁いてやる」
「……いいの? そんなこと許したら、私は毎日電話して、シンの声が枯れちゃうかも」
いや、でも、掠れたシンの声もいいかも、とちょっと考えてしまう。
そんな考えすら見通されたのか、シンはもう一度溜息をつくとソファーから立ち上がり、私の隣に移動してきた。
至近距離に彼の顔があり、つい身構える。
「毎日声を聞きたいのはお前だけじゃない。お前からの連絡がなければ、俺のほうから電話してやる」
それからというもの、シンは本当に毎日電話してきた。
それこそ、スマートフォンの音声フォルダがすぐに埋まってしまうほどに。
それを素直に話したら、呆れた顔でまた初期化されてしまうのだった。