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覚えてて

※生理ネタ/妊娠ネタ

 週末、私の家で、二人で寛いでいた時のことだ。何かを思い出したように、ふとレイが話題を切り出した。
「そういえば、あれ以来そういった苦痛はないのか?」
 何のことを言っているのかはすぐに察しがつく。しばらく前、私はあまりの痛みにすっかり参ってしまって、レイにナツメのスープを作らせて看病までさせたのだ。それ以降、レイは私のそういう時期を把握してくれているし、色々な準備も、心配もしてくれる。
「あれからは大丈夫だよ。ちゃんと薬も飲んでるから」
「薬?」
 レイは怪訝な顔をする。把握していない、とその目が語っていた。主治医に相談しなかったのは悪かったと思っている。けれど、Aksoに婦人科はないし、街のレディースクリニックに行くのにレイを付き添わせるのもどうかと思ったのだ。クリニックにはAksoにかかりつけ医がいることも、心臓のことで長く病院にかかっていることも、今処方されている薬を一覧にした手帳も見せた。レイの処方に影響がないように、薬というよりは漢方を出されていた。
「見せてくれ」
 キャビネットから薬を出してレイに預ける。当帰、芍薬、牡丹皮、その他諸々を調合してカプセルに詰めたものだ。ふむ、と小さな溜息を零しながら、レイは元の位置に薬を戻した。
「問題はないだろうが、次からは私に相談するように」
「はあい、先生」
 レイの手が私の手を取る。彼の手のほうが少し冷たい。
「なら、ナツメのスープはもう必要ないか?」
「え……」
 触れ合っている手を握り、そのまま指を絡める。応じるように、軽く握り返された。それに安心しながら彼を見上げる。
「……もう作ってくれない?」
 その言葉にレイは微笑み、私の耳元に顔を寄せた。
「望むなら、今すぐにでも」
「今は別にいいかな」
 同じように笑いながらそう返したのに、途端にレイは疑問を顔に浮かべた。その表情の意図がわからず、私も疑問を浮かべた顔になる。変なことを言ったつもりはない。
「いつもは少なからず泣きついてくるのに、今回は余裕があるのか?」
「今回? 今回って……」
 ようやくレイの言葉が意味するところを察した。気付いてしまうと不安が押し寄せる。たまらず、レイの服の裾をつまんだ。
「……来てない」
 私の言葉に、レイも僅かな焦りを見せる。思えば、レイが突然この話題を切り出したのも、このためだったのだろう。私はすぐにスマホを開き、カレンダーアプリを先月の欄にスライドした。
「確か前回来たのって……」
 すかさずレイの指が横から伸びてきて、日付を指さした。
「この期間だ。そして予定日は五日ほど前だった」
「五日……」
 気にするほどのズレではないだろうが、気にならないと言えば嘘になる。体調が悪くてたまたま不順になるなんてよくあることだった。それでも、レイのおかげでここのところずっと安定していた。ズレたとしても二日程度だったのに。
 レイはすぐにどこかに電話をかけ、診察の予約を取り付けていた。予約はどうやら一週間後になったようだ。電話を終え、未だに不安を拭いきれない私の頭をゆっくりと撫でてくれる。
「一週間後に病院に行こう」
「どこに電話をかけてたの?」
「産婦人科のある、比較的大きな病院だ。Aksoとも何度もやり取りしている」
 あそこは腕のいい医者が多いから大丈夫だ、と慰めの言葉をかけられる。レイの手は頭から離れ、今度は私のお腹をそっと撫でた。今更、病院が怖いわけではない。ただ、もしも、本当だったら。
「診察の日まで、私の家に泊まろう」
 レイもそれを危惧したのだろう。一人でいる時に変調があっては困る。その提案に頷いて、すぐに荷造りを始めた。とはいえ生理用品はレイの家にもあるし、少しの着替えを詰めた程度だ。
 二人で車に乗り、慣れ親しんだ家に辿り着く。揃ってベッドに潜り込み、腕に包まれながら眠りについた。もしかしたら、こんな日々が突然終わりを告げるのだろうか。レイが相手なら、後悔なんてあるはずないけれど。

 診察の日が近付いてくる。結局、予定日から十日が過ぎても始まることはなかった。毎朝の検温では微熱が続いている。幸いにも、この間に緊急性の高い任務は出ておらず、ワンダラーの発生もなかった。
 いよいよ診察を翌日に控えた朝、レイは小さなパッケージを差し出してきた。
「これ……」
「市販の検査薬だ。正しく使えば正確性は九割を越える」
 受け取って、一人でドアの内側に籠もり、使用方法を熟読する。さすがにレイにやらせるわけにはいかない。意を決してパッケージを開ける。ひととおりの手順を終えて外に出ると、レイもそこにいた。二人で緊張しながら、それを覗き込む。判定を告げる線はすぐに出て、けれど待てど暮らせどその横に線は引かれなかった。
「……陰性だね」
「ひとまずはな」
 残念、という思いもほんの僅かにあるが、それよりも予定外のことは起きていなさそうでとりあえずほっとした。けれど、不安が拭い切れたわけではない。あくまで可能性のひとつがなくなっただけで、予定日を過ぎても来ていない、という事実はまだ揺るがないのだから。
 そうなると、今度は何かの病気を疑わなくてはならない。考えられる病気を調べようとして、その手を止める。自分の不安を煽る必要はない。明日、ちゃんと明らかになる。お互いに、今日は無理しない、と約束して、それぞれの仕事へと赴いた。

 翌日、拭いきれない不安を抱えたまま、私は助手席で俯いていた。レイが時折何かを話してくれるが、耳を通り抜けてしまう。
 やがて見知らぬ病院に到着し、レイは慣れた様子で受付を済ませ、すぐに診察室へ通される。中にいたのはレイよりも少し年上だろうという女医だった。私達を見るなり、目の前の二脚の椅子を指差す。
「奥さんはこちら、旦那さんは必要ならそちらにお座りください」
 慣れない呼ばれ方にむず痒くなる。二人でここへ来るということはそういうことなのだ。言われたとおりに女医の前に座るが、耐えかねたようにレイが口を開いた。
「私は彼女の主治医で、彼女の……」
 主治医、という言葉に女医は一瞬だけ眉を動かし、次の言葉を待っていた。
「……恋人です。今はまだ」
「もしかして、あなたがAksoのレイ先生?」
「ええ」
 肯定する返答に、女医は途端に表情を和らげる。さすが、顔が利くようだ。
「聞きたいことはあるけど、まずは問診をさせてください」
 言われるがまま、状況を話す。月のものが遅れていること。避妊具は使用していたが心当たりはあること。前日の検査薬では陰性だったこと。
 女医はカルテを打ち込みながら、エコーの手続きを始めた。すぐに呼ばれると思います、の言葉通り、検査室にはすぐに通され、体内にプローブを入れてから、腹部に器具が当てられる。レイは女医と一緒に画面を凝視している。けれどさすがに専門外なのか、神妙に眉根を寄せていた。一方で女医は、小さく唸りながらもあまり重篤性は感じられない様子を見せた。
「残念ながら、妊娠はしてませんね」
「病気の可能性は?」
「ぱっと見たところ、その可能性も低そうです。内膜が結構厚くなっているので、今日か明日には剥がれ始めると思います」
 女医は私のほうを向き直ると、優しく微笑んだ。
「もう一週間、様子を見てください。それでも月経が始まらないとか、その間に耐え難いほどの腹部の痛みが起きたら、もう一度いらしてください」
 その言葉に安心しながら頷いて、体を起き上がらせる。私が服を整えている間に、女医はレイに話しかけ始めた。
「私は直接関わりはありませんが、噂はよく聞いています」
「噂?」
「とても優秀な先生だと」
「……過大評価です」
「それに、あのレイ先生が産婦人科を予約した、って院内で少し話題になってましたよ」
 服を整え終えた私を見計らってか、レイに手を引かれる。検査室をあとにする直前、女医は悪戯っぽく笑った。
「本当に妊娠されたら、また来てくださいね」

「……知り合いのいる病院は失敗だったな」
 レイの家に帰宅して早々に、レイは軽い溜息をつきながらソファーに座る。知り合いがいたほうが心強いかと思っていたが、そうでもなかったようだ。気疲れするレイ、というのも貴重だ。隣に座って、その頬をつつく。
 その日の夕方から、女医の言うとおり、出血が始まった。ブランケットをかけて、レイが淹れてくれた温かいココアを両手で包みながらゆっくりと飲む。
「始まったってわかると、お腹が痛いー」
「思い込みが激しいな」
「本当に痛いんだよ。少しだけ」
 レイは笑いながら、私のお腹を撫でた。一週間前に不安そうに撫でた時とは違う。温めようとさすってくれる、いつもの動きだ。
「強くはないか?」
「うん。ちょうどよくて、気持ちいいよ」
 レイの顔に頬を擦り寄せる。すぐに、同じように頬を寄せられた。
「……実は、この一週間、少しだけ考えていた」
「何を?」
「本当に妊娠していたら、と」
 その言葉に、つい真面目な顔でレイを見つめてしまう。私の視線に気付いたのか、レイもこちらを見返してくる。至近距離で見つめ合ってこの話をするのは、どうしても緊張する。
「それで、シミュレーションはどうだった?」
 私がどうしようどうしようと狼狽えるだけだったのに、レイはその先のこともちゃんと想像していたのだろう。
「まず両親に報告して、それから病院関係にも報告して……入籍はどうすべきか、式はどうすべきか、産前産後のお前のサポートはどうしたらいいのだろうか、子供が生まれたあともこのまま仕事を続けていいのか……とにかく疑問が尽きなかった」
 けれどレイの『想像』はあまりにも曖昧で、やはり彼も狼狽えていたのだと笑みが零れた。
「浮足立っていたな、私は」
 結局は杞憂に終わったわけだけれど、短い間だけでも、少し未来のことを真剣に考える機会になった、と彼は自嘲気味に言う。私はそれすら考える余裕がなかったのだから、実際にそうなる時までに、真面目に考える準備をしておいたほうがいいのかもしれない。
「いなくて、残念だった?」
 いや、とレイは穏やかに首を振る。
「今は、お互いにやるべきことがある」
「そうだね」
「だから、ゆっくりでいい」
 いつか、私達が落ち着いて、何の気兼ねもなく、将来の話ができるようになったら。その時に、改めて考えればいい。まだもう少しだけ時間がほしい。その時まで待っていて、とまだ見ぬ誰かに呟いた。

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