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花は花

※幸村伝やる前に考えたやつ

迷ってしまった。
主君の目を盗んで密かに信州へ足を運んでいた真田信之は、そう一人ごちた。
慣れたはずの上田への道、迷うことなどないはずだった。
だが、気が付いたらそこは見慣れぬ場所で、本来なら街道にあるはずの茶屋もない。
代わりに、ないはずの茶屋ならあるが。
距離と方角から考えると、上田は目と鼻の先だ。
茶屋で一休みして、序でに話も聞いてみようと、茶屋に立ち入った。
「御免下さい。お茶を一杯頂きたいのです、が……」
茶屋の中に、見慣れた後ろ姿がある。
見慣れたどころではない。今まさに会いに行こうとしていた人物だ。
こちらに気付きもせずに、団子を頬張っているらしかった。
信之はその背中に近付き、肩に軽く手を置いた。
「幸村」
幸村、と呼ばれた彼が勢いよく振り返る。
目が合った瞬間、お互いに怪訝な顔になった。
「……おや?」
幸村だ。目の前にいるのは、確かに真田幸村だ。
だが、信之が想像していた幸村ではなかった。
この世に『真田幸村』という人物は一人しかおらず、目の前の彼は確かに『真田幸村』という名前なのだ。
しかし、何かが決定的に大きく違う。
幸村の方もそれを感じていたらしく、大きな目を忙しなく動かしている。
しばらく見つめ合って、先に動いたのは幸村だった。
「さ、佐助!」
「はいはい」
どこから現れたのか、極彩色の装束を纏った忍が足元にいた。
信之は彼のことも知っている。が、やはり何かが違う。
「あ、兄上が!」
「あれ、ホントだ、信之様。なんでこんなとこに……あれ?」
佐助も信之をまじまじと見つめ、不思議そうに眉根を寄せた。
信之の方も、やはり佐助が不思議でならない。
「何かが違うのだ、佐助!」
「だねえ。けど、何が違うんだろ」
「幸村の忍……お前は、男だっただろうか?」
「え? ええ?」
何言ってんの、俺様どこからどー見ても男でしょ、と佐助は自分の体を指差した。
確かに、『佐助』は紛れもなく男だ。
だが『幸村の忍』は女だった気がする、と信之は漠然と思っていた。
疑問に思いながらも、信之は幸村の向かいに座った。
皿の上には大量の串が置かれており、最後の一串は今まさに幸村の口の中だ。
「申し訳ありませぬ……団子はこの通りにござる」
「いや。幸村が団子が好きだとは意外だった」
「そうでござりますか? 以前、共に茶屋に赴いたことがありましたが……」
「……そうだったか?」
幸村が好きなのは焼酎ではなかったか。
強い、と豪語するくせに一杯で真っ赤になって眠ってしまう。
可愛らしいものだ、と思ったのを覚えている。
そう言うと、幸村と佐助は揃って、幸村は酒は呑まない、と言った。
「もしかして、これが噂の『異界』ってやつですかねえ?」
「異界?」
各地を飛び回る忍の間では有名な話で、日ノ本の中には、異界へと通じてしまう特定の場所があるらしい。
異界、というのはよく似た並行世界であると佐助は解釈していた。
二つの世界は決して交わることはないが、特定の場所で特定の条件を満たした時だけ、異界に足を踏み入れてしまうことがある。
その場所も条件もまるで不明で、何の規則性もないため、自由に行き来することはできないが。
信之にとってみたらここは『異界』であり、幸村と佐助にとってみたら信之は『異界からの訪問者』であるらしい。
「残念ながら、俺様は行ったことがないんだけどね。けど、本当にあるんだねえ、異界」
御伽噺の類だと思っていた、と佐助は付け足した。
それはそうだろう。
信之にしてみても、まるで御伽噺のような話だ。
だがそれ以上にぴたりと当てはまる説明は思いつかず、それで納得することにした。
「やはり某も、酒を嗜んだ方が良いのでしょうか」
幸村は真面目な顔で、本人にとっては至って真面目な疑問を投げかけた。
それが信之には少しばかりおかしくて、小さく笑いが零れた。
「何故そう思う?」
「将たる方々は、皆一様に酒を好まれる。私的な親交の場では必要不可欠なのでは、と」
「成程。けれど、お前はやめた方がいい」
「何故にござりまするか?」
子供のような瞳が揺れる。
幸村はああ言ったが、きっと未知への興味も少なからずあるのだろう。
だからこそ、興味本位で呑むものではない。
「ほんの一杯で真っ赤になり、卒倒するだろうから」
そう言えば、幸村は僅かに頬を膨らませる。
本当に子供のようだと、信之はつい昔を懐かしんだ。
信之が知る『幸村』は、戦の時でこそ熱血漢ではあるが、普段は穏やかな人物だ。
目の前の幸村のように、表情がくるくる変わることも、最近は減りつつある。
昔から穏やかではあったが、それでも子供の頃は年齢なりに子供らしかった。
尤も、その頃は信之も子供には違いなかったが。
この世界の幸村は、子供の頃の幸村に似ていた。
年齢的にも、信之の知る幸村よりも少し幼いのかもしれない。
一刻も話した頃、信之はそろそろ帰ると立ち上がった。
「もうお帰りになるのですか。徳川殿の使者として御用があったのでは、」
「いや。お前は息災か、と思っただけだ」
「そのような用事で徳川殿の元を離れられては……」
「おっ、だいぶ言うことが『らしく』なってきたんじゃないの」
茶化すな、と幸村は視線を一瞬だけ逸らし、またすぐに信之を見つめた。
曇りなき真っ直ぐな目。
それは、信之がよく知る幸村と何も変わらない。
「兄上。某の身はご心配なさらず。便りなくば、息災とお考えくだされ。どうか、軽々しくここを訪れたりせぬよう」
「幸村……」
しばらく見ない間に、随分しっかりしてしまったものだ。
いや、この幸村は知らない幸村だったか。
けれど、本来の幸村も、彼のように言うだろう。
きっと叱られてしまうな、と思いながら、信之はわかった、と返した。
しばらく歩いてから振り返ると、そこに先程までの茶屋はない。
代わりに見知った茶屋があるだけだ。
戻ってきたのだと確信して、本来の目的を果たすべく踵を返しかけて、止めた。
きっと同じことを言われるだけだろうから。
大丈夫だ。花は、思っているよりずっと強い。
そう自分に言い聞かせながら、帰路についた。