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私のことが大大大好きなボス

とんでもないものを見てしまった、とアキラがどこか興奮冷めやらぬ様子で連絡してきた。
そもそもアキラやカゲトがSNSでもなくメッセージでもなく、私に直接電話してくるのも珍しい。
そのくらい興味深いものなのだろう、と私も身を乗り出して聞く。
「昨日、あんたが寝惚けてボスにボイスメッセージを送ってきただろ?」
「……それはもう蒸し返さないで……」
私とシンたちは今、それぞれ臨空から離れて別の場所でそれぞれの仕事をしている。
彼は今どうしているかな、とふと気になって、けれど時差もあるだろうし今連絡したら迷惑だろうか、と思い悩んでいるうちに夜も更けて、眠気も増して、何を思ったか昨夜の私はシンにボイスメッセージを送っていた。
どんなメッセージを送ってしまったのかは覚えていないが、恥ずかしい内容であろうことは予想できる。
シンがSNSを更新していたのだから。
「あのメッセージが来た時、ボスはちょうど商談中だったんだ」
「邪魔して怒ってる?」
「いや。会議が踊りまくってて苛ついてたからタイミング的にはバッチリだった。もう少しでボスは爆発するところだったからな」
その商談の最中、私が寝惚けたボイスメッセージを送ってしまい、煮詰まっていたシンはそれを開いてしまった。
きっとその場に、私の寝惚けたボイスが響き渡ったのだろう。
けれど、『とんでもないもの』はそれじゃない、とアキラは続けた。
「あんたのボイスを聞いた瞬間の、ボスの顔……! あんたにも見せてやりたかっ」
途中でアキラの通話は切れてしまった。
通話が切れる直前に靴音のようなものが聞こえたから、何があったのかは容易に想像できる。
その時、シンはどんな顔をしていたのだろう、と想像を巡らせる。
シンはいつもどこか険しい顔をしているけれど、アキラやカゲトに言わせれば、私の前ではかなり穏やかな顔をしているという。
会いたい、と思うと同時に、スマートフォンが再び着信を告げた。
今度はアキラじゃない。逸る気持ちを抑えながら、通話ボタンを押した。
「シン、どんな顔してるの?」
「……こんな顔だ」
画面がビデオ通話に切り替わり、シンの顔が映し出される。
私も同じように切り替えて、お互いに顔を見せ合った。
見慣れたはずのお互いの顔だ。
「N109区にはいつ戻るの?」
「明日には戻る。今回はお前のほうが後になるな。空港まで迎えに行ってやろうか?」
冗談めかして彼が言う。
けれど彼は優しいから、いらない、と言っても来るのだろう。
ならば、素直に甘えてしまいたい。
久しぶりに見た彼の顔は、私を寂しくさせるには十分だった。
「いいの?」
その言葉にシンは一瞬だけ目を見開き、すぐに細めた。
「ああ。時間がわかったら連絡しろ」
そのまま取り留めのない話を繰り返す。
そのうちに時間は進み、私は小さな欠伸を噛み殺した。
「眠いならベッドへ行け。ちゃんと横になって寝ろ」
「うん……」
通話を繋いだまま、ベッドに横になる。
傍らのスタンドにスマートフォンを立てると、まるでそこにシンが添い寝をしてくれているような気分になる。
けれど、あくまで気分だけだ。
実際にここに彼はいない。
シンは私のベッドになってくれるし、私の枕にもなってくれる。
下手くそな寝かしつけもしてくれる。
今ここに、シンがいてくれたらいいのに。
うとうとと目を閉じかけた頃、画面から調子外れな子守唄が聞こえてきた。
その唄すら今は心地よくて、いつの間にか私は眠りに落ちていた。

数日後、私が臨空に戻る予定のフライトは遅れに遅れ、夕方に着くはずの飛行機は到着予定時間を過ぎた頃にようやく飛び立った。
臨空に着いたのは深夜に近い時間だった。
飛行機に乗る前にシンには連絡していたし、迎えに来なくていい、とも言った。
多忙な彼を縛り付けるわけにはいかない。
今夜はおとなしく自分の家に帰ろうと、俯きながら力なくスーツケースを引っ張った。
そう思っていたのに、人もまばらな到着ロビーに、頭二つ分は背の高い人影があった。
その人影は私と目が合うと、ゆったりと歩いてくる。
「災難だったな」
私の手からスーツケースを奪い、もう片手で私の手を捕まえる。
触れ合った指先が、夢や幻ではないと告げていた。
一歩踏み出して、その胸に顔を埋める。
抱きつくように押し付けると、大きな手が私の頭を撫でていった。
「ただいま……」
「ああ。おかえり」
「疲れた……お腹も空いたし……」
「だろうと思って、用意してある。帰るぞ」
手を引かれて空港を出ると、見慣れたバイクが停められていた。
シートの下にスーツケースを押し込んで、ヘルメットを被ってタンデムシートに跨る。
シンの腰に手を回すと、グローブ越しにその手を一度だけ軽く握られた。
「出るぞ」
ウインカーを出しながら、車体がゆっくりと傾く。
普段は速度なんて気にしないほど乱暴な運転なのに、今夜ばかりは常識的な速度でN109区へ向かう。
疲れた私を気遣ってのことだろう、というのは考えなくてもわかることだ。
それがまた嬉しくて、ヘルメット越しにシンの背中に額をすり寄せた。

基地に着くとシンの宣言通り、そこにはきちんと食事が用意されていた。
食事、といっても豪勢なものではなく、どこかで買ったであろうサンドイッチばかりだ。
それに加えて、栄養補助食品のようなゼリーやブロック類。
それでも空腹の私には十分だ。
ベーコンサンドのパッケージを開けて、かぶりつく。
その間に傍らにはホットミルクが置かれた。
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる彼はそのまま隣に座り、私がサンドイッチを頬張る様子を観察しているようだった。
「……あんまり見ないで」
「なぜだ?」
「がっついてるみたいで恥ずかしいから」
「お前が何かを食べてる様子、俺は嫌いじゃないぜ」
ならいいけど、と二つ目のサンドイッチに手を伸ばす。
このあとすぐに眠ることを考えると、あまり満腹になりすぎてもいけない。
二つ目のサンドイッチを食べ終えて、ホットミルクを飲み干すと、すぐに席を立った。
当然というように、シンも後からついてくる。
「シャワーを浴びるの。ついて来ないで」
「一緒に入るか?」
一瞬、それでもいいか、という考えがよぎる。
疲れすぎて頭が馬鹿になっているようだ。
馬鹿みたいな考えを振り払って、シンの体を押しやった。
「入るわけないでしょ」
「それは残念だ」
熱いシャワーが気持ちいい。
いつの間にかこの基地には私の私物が溢れかえっていて、例えばここにあるシャンプーもトリートメントも、洗顔フォームもそうだ。
シャワールームを出れば当たり前のようにバスタオルと、着替えのルームウェアが置かれている。
ほとんど私専用になっている客間に入れば、ソファーでは既にシャワーを終えたらしいシンが待ち構えていた。
この基地にはいくつもシャワールームがあるし、シンの部屋に至っては併設されている。そのうちのどこかで終えてきたのだろう。
ソファー前のローテーブルには同じく私のスキンケア用品が並べられていた。
シンの足元に座って化粧水を手に取ると、肩にかけたままのタオルが取られ、すぐに髪を拭かれ始める。
「せめてもう少し拭いてから出てこい」
「あなたがいるからいいかと思って」
呆れたような小さな笑い声が聞こえる。
顔のケアが終わる頃、髪を拭いていたタオルは傍らに投げ捨てられ、代わりにドライヤーの風が当てられた。
ブラシで梳かれながら、ゆっくり丁寧に、髪が乾かされていく。
ドライヤーの温風が気持ちよくて、私はうとうとと目を閉じた。
「ほら、終わったぜ」
けれど眠りに落ちる前に打ち切られ、子供のように脇の下に手を差し入れられて持ち上げられる。
彼の隣に座らされてすぐに、私は彼に体を預けるように凭れかかった。
抱き締められ、あやすように頭を撫でられる。
包みこまれる体温が心地良い。胸から聞こえる鼓動の音も。
「シン……」
「ん?」
名前を呼んだだけで、その先は紡げなかった。
久しぶりに会ったのだから、もっと顔を見たい。ずっと話していたい。
そう思うのに疲労は限界で、閉じた目を開けることもできなかった。
ふと、頭上から優しい吐息が降ってくる。
きっと彼は今、アキラが『とんでもないもの』と表したあの顔をしているのだろう。
今、どんな顔しているの。
それを見たいのに、結局見ることは叶わなかった。

のしかかる重みで目が覚めた時、私はベッドの上でシンの腕を枕にしていた。
お互いにお互いを抱き枕にしていたらしい。
眠っているシンは、やはり普段からは考えられないほど穏やかな顔をしていた。
指を伸ばして眉間をつつくと、ゆっくりと瞼が開かれる。
深紅の双眸は、まだ眠たそうに微睡んでいた。
「……起きたのか……?」
「うん。シンは?」
「もう少し眠る……」
再び抱き枕にされる前に、その腕から抜け出した。
シンは始めこそ不満そうにこちらに手を伸ばしたが、やがて力尽きたのかまた眠り始めた。
あらためて部屋を見回すと、どうやらここは客間ではなくシンの部屋らしい。
時計を見るともう昼過ぎだ。シンはきっと眠り始めたばかりなのだろう。
静かに扉を開け、客間へ戻って身支度を整える。
もう一度部屋を出ると、近くで待ち構えていたらしいアキラとカゲトに小声で手招きされた。
「なに?」
同じく小声で近付くと、二人はスマートフォンを見せてきた。
動画が再生待機状態になっている。映っているのは私とシンだ。
「いいから、見てみろって」
緊張しながら再生ボタンを押す。
その様子は、昨夜の客間でのやり取りを扉の隙間から撮ったもののようだった。
ソファーで私がシンに凭れかかって眠ってしまった直後。
シンはふっと顔を緩めると、私の額に軽く唇を落とした。
その顔は見たことがないほど優しく穏やかだった。
「なにこの顔……!?」
「あんたといる時、ボスは大体こんな顔してるぜ」
「この間、商談中にボイスメッセージが送られてきた時も大勢の前でこの顔を晒してた」
確かに私といる時のシンの顔は普段に比べれば優しい、とは聞いていた。
けれど画面の中のこの顔は、それよりももっとずっと甘い。
シンはその顔のまま、今度は頬に唇を寄せてきた。
今キスされたわけではないのに頬が熱くなって、思わずキスされた場所を手で押さえる。
その後シンは私を抱き上げ、扉へ近付いてくる。映像はそこで終わった。
おそらくこのあと、自室へ行ったのだろう。
「どうだった?」
「どうって……」
恥ずかしい、以外の感想がない。
それ以上にどうしても嬉しくなって、にやける顔を隠すように押さえ込んだ。
昨夜収まったはずの、会いたいという思いがまたこみ上げる。
さっきまで一緒に眠っていたばかりだ。それにシンはまだ眠っている。
すると双子は、楽しそうに声を上げて笑った。
「叩き起こしたって、あんたが相手なら怒りゃしないって!」
「ほらほら! ゴーゴーゴー!」
押されるままにシンの部屋の扉の前に立ち、促されるままそっと扉を開ける。
中に押し込まれると、静かに、けれど力強く扉は閉められた。
その僅かな音に気付いたのか、シンが小さく身じろいだ。
身じろいだだけで、まだ起きる気配はない。
抜き足でベッドに近付き、緩みきったその頬に、息を潜めて唇を寄せる。
頬にキスした瞬間、強く腕を引かれたかと思うと肩を掴まれ、天地が逆転した。
気が付けば柔らかいベッドに押し付けられ、私の上には寝起きのシンがいた。
「お、おはよう……」
「ああ、おはよう」
「寝てたんじゃないの?」
「今起きたんだ。誰かさんのおかげでな」
怒らせただろうかと怖ず怖ずと顔を見上げるが、どう見ても怒っている顔ではない。
「それで、寝込みを襲いに来た理由は?」
「シンは、寂しくなかったの……?」
面食らったように目を見開くシンに、失敗した、と思った。
これじゃあまるで、私が寂しかったと言っているようなものだ。
急に気恥ずかしくなって、シンの右目を隠すように、その顔をぐいと押しのけた。
この目が悪い。心の内の欲望を引き出す、なんて言うけれど、ありもしない欲望すら生み出すなんて。
シンは笑いながら私の手を外し、その手の平に軽くキスをした。
「お前は何が欲しい?」
「……あなたと同じもの」
苦し紛れにそれだけ言うと、指先で頬を撫でられた。
親指と人差し指で顎を掬われ、薄く開いた唇に、シンの唇が重ねられた。

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