眠る、膝上
三成が眠る姿を見たことがある者はいない。
まず、三成は睡眠という行為そのものに頓着しない。
それに加えて非常に敏感であり、小さな物音でも目覚めてしまう。
本人の言によれば、意識が落ちる瞬間というのは安心できない、とも。
いつ何が起きるかわからない。目覚めたら何もかも終わっているかもしれない。寝首をかかれるかもしれない。
よって、彼が眠ることができるのは、確実に自分の寝首をかかない、かつ自分を確実に守れるであろう、最も信頼できる人物の傍だけであった。
軍の者は皆、それが誰かということなど気付いていたが、かといって本人に直接『三成様は貴方の前では眠るのですか』など聞けるはずもなかった。
「やれ、来やったか」
深夜、文机に向かって政務をこなす吉継の部屋を三成が訪れた。
双方にとって最早慣れたことであり、吉継は仕事を一度中断し、その場に座り直した。
膝上の布を軽くはたき、皺がないようにと整える。
「三日ぶり、いや四日ぶりか」
「五日だ」
三成にとっては五日ぶりの睡眠だった。
常人であればとっくに倒れているところだが、それでも動き続けるのが石田三成という男だった。
吉継が軽く膝を叩けば、三成はそこに倒れ込むように頭を預けた。
この時、吉継の腰に腕が回されるのだが、どうやら無意識であるらしい。
その昔、一度尋ねたことがあったが、ほんの数刻腕が離れただけで、すぐに腰に纏わりつく。
二度目からは、もう何も言わないことにした。
「貴様、帳も下りたというのに、何をしていた」
「大したことはない。書状を認めておっただけよ」
「身を休めろ。貴様は働きすぎだ」
「ぬしに言われとうはないわな」
髪に指を這わせると、三成は細い目を閉じる。
眠った気配がすると、吉継は三成の髪から指を離した。
寝息も立てず、寝返りもない。ほんの僅か、注意して見ていればわかる程度に肩が上下するだけだ。
傍から見れば死んでいるのではないかと疑うだろうが、慣れていればいつも通りの光景だった。
そうして眠った後、日が昇る前には目覚め、日常に戻っていく。
三成にとってもそれは数少ない休息の時間であり、吉継にとっても楽しみのひとつであった。
楽しみにしていた時間だからこそ、その変化は吉継にもすぐにわかった。
眠りに来る頻度が減り、来ても眠る時間が短くなった。
眠る前と起きた後に、らしくもなく雑談までする。
原因は簡単に思い当る。
少し前に三成が連れてきた、左近という青年だった。
連れてきた、というよりも、ついてきた、という方が正しいか。
その左近を横に就かせた状態で、ほんの少しの時間だけ眠ることがある、とは三成本人から聞いたことだった。
「三成様って、寝顔は意外と可愛いっすよね。本人に言うと怒られるかもしんないけど」
左近からこのように言われるのは、吉継にとっては少しばかり面白くないことであった。
しかし、三成が眠れるのならそれは良いことであり、面白くないなどという理由で睡眠を拒否させることなどできなかった。
それは『嫉妬』という感情であると吉継はすぐに気付いたが、そんなものは邪魔になると押し込めようとした。
その夜、いつものように三成を部屋に招き入れたが、素直に膝を貸す気に慣れず、握った拳を膝の上に置いていた。
「最近は左近の元でも眠れるようになったとな。いや感心感心」
「左近は信用に値する。貴様ほどではないがな」
「ならばわれも間もなくお役御免か。やれ、ヨカッタ、ヨカッタ」
「刑部」
膝上で固く結んだ手を上から握られ、ずいと顔を近付けられる。
息がかかるのではないか、と思うほどの距離だった。
そもそもにして、この男は人との距離が近すぎるのだ。
「何を怒っている」
「そう見えるか」
「いや……違うのなら良い」
固く結んだ手の上に、三成は躊躇なく頭を下ろした。
拳骨の上では痛いだろうかと、吉継の方が気を使って手を退けたくらいだった。
「左近はあれで意外と頭もきれる。いつわれが逝こうと不自由ないな」
「誰がそのようなことを言った」
腰に回された腕に力が込められる。
髪を軽く撫でてみても、三成の細い目は閉じられることはない。
「刑部。貴様の代わりなどいない。左近でも、貴様の代わりなどにはならない」
腰に回されていた腕が解かれ、細くも大きい手の平で、膝を撫でられた。
「無論、ここもだ」
気付いていたのか、と息が詰まる。
だが、きっとそうではない。気付いていたわけではないのだろう。
三成にしてみれば、ごく当たり前のことを口にしたに過ぎないのかもしれない。
吉継は再び、白い髪に指を這わせた。
しばらく髪を撫でていると、三成は子供のようにあどけなく眠った。