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有名無実の恋

左近の話 2

朝、教室の前に備え付けられた個人ロッカーを開けて、思わず漏れそうになる舌打ちを堪えた。
代わりに漏れたのは小さな溜息だった。
またか、と零れた視線の先には可愛らしい封筒に、そこに書かれた丸い文字。
それはラブレターであったり、あるいは告白をしたいがための呼び出しであったり。
彼女たちの目的はいつも同じだ。それに対する彼の返事もまた同じ。
勝手にロッカーに物を入れられたり、あるいは盗まれてはたまらないと鍵をかけたが、結局隙間から捻じ込んでくるらしい。
卒業を間近に控えたこの時期、それは一気に増えた。
最後のチャンスなんだから当たって砕けろ、という思いなのだろうが、当たられる方はたまったものではない。
この一ヶ月で何度砕いたか知れない。
女子は噂話が好きだと聞くが、『彼には想う人がいる』『誰とも付き合う気はない』は広まらなかったようだ。
それも今日で終わりか、と開封もせずに鞄に押し込んだ。

式が終わったあとの教室は悲喜交々としていた。
今生の別れでもあるまいに、とどこか冷めた気持ちでそれを眺めていると、一人の女子生徒が寄ってきた。
一年の頃からずっと同じクラスで、クラスの中心となって一緒に騒いできたなかの一人だった。
「ねえ。記念にブレザーのボタンくれない?」
「ボタン? ん」
着続けたブレザーはさすがに糸も生地も弱っていたのか、引っ張れば簡単にちぎれた。
それを差し出すと、ありがと、と大事そうにしまう。
「そんなん、何の記念にすんだ?」
「同じ高校にいた、っていうしるし」
「……しるし、ねえ」
あの頃は首。今はボタン。
随分平和的になったものだが、それでも人はそういったものを求めるものらしい。
女子生徒は、まだ何か言いたそうに彼をじっと見つめた。
「なんか、最近モテモテだね」
「モテたいわけじゃねーんだけどな」
「好きな人がいるから、誰とも付き合わないんだって?」
「断るときの常套句っしょ」
「じゃあ、あたしだったら?」
「は?」
「付き合わないか、って言ってんの。あたし、あんたのこと好きだし。あんたにだって嫌われてないと思うし」
まさかこんなところで、最後の最後に言われると思っていなかった。
確かに彼は彼女のことを嫌いではなかったが、『嫌いではない』というだけだ。
『気の置けない相手』とも思っていない。
他の女子生徒よりは親密、という程度の認識でしかなかった。
「無理だって。俺、この町出んだよ。遠距離になるし」
「あたしは平気だけど」
「俺が無理。傍にいないやつを想い続けるなんてさ」
とんだ嘘つきだ、と心の中で自嘲した。
ずっと昔、彼が『彼』になる前の頃から、今は生きているのかどうかさえわからない人を想い続けているくせに、と。
「じゃあ、あたし毎週末そっち行くよ。って言ったとしても?」
「ずっと好きなやつがいる、ってさっき自分で言ってたろ」
「常套句じゃないの? マジなの?」
「マジだよ」
「いつから?」
女子生徒は眉を顰めた。
軽い冗談のようなノリで伝えられた告白だったが、彼女なりに真剣だったのかもしれない。
「ずっと昔」
「それって、中学? 小学校? 幼馴染とか?」
「四百年前」
「……何それ」
断るならもっとマシな嘘ついてよ、と憤った様子で彼女は立ち去った。
本当のことだと言っても信じてはもらえないだろう。信じてほしい、などと思ってもいないが。
やがて教室内は落ち着きを見せ始め、一人また一人と帰る生徒も現れ始めた。
俺もそろそろ帰るか、と彼は立ち上がり、最後なんだから遊びに行こう、という誘いも全て蹴って、家まで数十分の道のりを漕いでいく。
家のガレージに自転車を止め、家に入ろうとしたところでふと足を止めた。
ガレージの隅に、割れたビー玉が落ちている。
近所の子供が落としていったのだろう。緑色のそれを拾い上げて光に透かして見れば、それはヒビのせいか角度によって色を変える。
あいつの鎧の色だ、と思い込めば、それは急に愛しく思える。
どんなに長い時間が経っても自分の中で消えることのない存在。
待てど暮らせど現れてはくれない。
当たり前だ、自分がここにいることの方が奇跡だ。
それでも願わずにはいられない。
奇跡だとわかってはいても。
「……四百年、待ったよ」
あとどれくらい。
小さな呟きは、春の空に溶けた。

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