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月と星と

※直接出てきませんが審神者表現があるので注意。

魔物との戦闘を終えて、一息ついていた瞬間だった。
近くに魔物の気配がなかったことと、その男そのものの気配は全く無かったせいで、油断していた。
殺気を感じた時には男は既に真後ろにいて、一刀を受け止めるだけで精一杯だった。
優男の細腕から繰り出されているとは思えない重い太刀筋に押される。
近付いた瞳の中に、淡く三日月が光る。
押し合いはしばらく続かに思われたが、突然、その男はふっと力を抜いた。
「ふむ、敵ではないのか」
男は剣を引くや否や、鞘に収めた。
隙だらけで、殺気も微塵も無い。
いくら襲われたとはいえ、そんな相手に斬りかかるようなことを、ユーリはしなかった。
拍子抜けてできなかった、というほうが正しいが。
「やあ、すまんな」
呑気に言ってくれる。
あと一歩遅ければ、こっちは死んでいたかもしれないのに。
ユーリは小さく溜息をつき、改めてその男を見た。
人当たりの良さそうな笑みを浮かべた男は、見たこともない装いだった。
ところどころに防具のようなものはあれど、全体を見ればドレスのようなものに見える。
とても戦うような服装ではない。
「刀を持っていたゆえ、敵かと」
「刀を持ってりゃ、誰だって敵かよ」
「うむ、大抵はそうだな。して、童よ」
その言葉に、思わず目を見開いた。
指摘すべきところが二つある。
まず、なぜそんなに物騒なことを飄々と言ってのけるのか。
そして、なぜユーリをあっさり子供扱いしたのか。
「ここはどこだ? 俺は過去へ飛ばされたはずなんだが」
「その前に、俺からも聞きたいことあんだけど」
「うん、何だ?」
「あんた、何者なんだ」
男は首を傾げたあと、手に持った刀の柄をずいと差し出した。
抜いてみろ、ということだろうか。
「いいのかよ? あんたに斬りかかるかもしれないぜ」
「はっはっは。その刀では俺は斬れん」
「はあ? なんでそうなるんだ」
「刀は自らの刀身を斬ることはできんからな」
意味がわからない、と思いつつも、ユーリはその柄を手に取り、引き抜いた。
先ほどユーリを斬ろうとした刃が、陽の光を反射して光る。
「三日月宗近だ」
それが刀の名前なのか、それとも男の名前なのか、判断がつかなかった。
それを聞き返せば、男は盛大に笑う。
「俺の名でもあり、刀の名でもある」
「刀に自分の名前をつけたのか?」
「いや。刀の名が『三日月』だから、俺の名も『三日月』だ」
「意味わかんねえんだけど」
「俺は刀だからな」
「……意味わかんねえんだけど」
彼が言うには、自分は刀に宿った魂のようなもので、とある能力者のおかげで肉体を得ている、ということらしい。
そういった者は彼の他にも数多く存在し、過去へ飛び、歴史を守るために戦っている。
今日も、歴史を変えんとする輩から正しい歴史を守るために過去へ飛んだはずだったのだが、気が付けばここにいたのだと言う。
「まあ、よくあることだ。主は少しばかり間が抜けていてな。出陣先をよく間違える」
刀を持っていれば敵、と考えたのは、過去の世界では、『刀を持っていて、見慣れないもの』は全て敵だったからだ。
ユーリには到底理解し得ない話であり、途方も無い話だった。
「あんた、ミカヅキ、だっけ」
「いかにも」
「とりあえず、さっさと帰ったほうがいいんじゃねえの」
「なにぶん初めてのことでな。帰り方がわからんのだ」
彼はまたしても盛大に笑った。
笑ってる場合じゃないだろ、と心の中で悪態をつく。
「童よ。名は何という」
「ユーリだ。それに、ガキじゃねえよ」
「はっはっは。ゆうり、か」
不思議な男だった。
ユーリが普段『おっさん』と呼んでいるレイヴンより、ずっと若そうに見える。
それどころか、ユーリと大差ないほどだろう。
それなのに、纏う雰囲気は若者のそれとはまるで違う。
若者どころか、人間のそれですらない気がしてしまう。
掴めそうで、掴めない。
「では、ゆうり。しばらく世話になるぞ」
容赦なく他人を巻き込む、究極のマイペースであることは間違いないだろうが。

魔導器が世界から消えて、間もない。
人々の間には未だ混乱が広がっている。
だが、全ての魔導器が、直ちに使えなくなったわけではなかった。
星喰みが全て精霊と化したあの日、呼応するかのように、魔導器の魔核も小さな精霊となっていった。
その後、魔導器の魔核の代わりに動くべく、戻ってきた精霊が、多からずいる。
魔核に変わる動力源と、エアルに変わるエネルギーがないか、魔導師たちは研究を始めていた。
町の結界魔導器の多くが、精霊のおかげで機能している、というのは不幸中の幸いだった。
今に限定して考えれば、『三日月』と名乗る妙な男を拾ったのが、その魔導師が集まるハルルの近くだったことは更に幸いだ。
この三日月という男は、刀の魔導器の魔核から生まれた精霊なのではないか。
だとすれば、自分が刀だというトンチキな発言も頷ける。
ユーリは素人ながらにそう考え、ハルルにいるであろう魔導師を頼るつもりだった。
歴史を変えるだの過去へ飛ぶだのといった話は一先ず無視するとして。
ハルルはここから歩いてほど近い。
町のシンボルである巨大な樹が見えてきたところで突然、真後ろを歩いていた三日月は、僅かながらも殺気を放った。
思わず振り返れば、今にもこちらに突撃してきそうな魔物が二匹。
この時期は平原の主が殺気立っている時期だ。
同種であるこいつらも、同じように殺気立っているのだろう。
先程は三日月に思わぬ一刀を喰らったとはいえ、あの格好で満足に戦えるとは到底思えない。
庇わなくては、と咄嗟に考えた。
ユーリは素早く鞘を投げ捨て、三日月の前に飛び出した。
突進してくる魔物は二体。
ユーリはまず一体に向かっていき、剣と拳を浴びせる。
その脇を、もう一体が走り抜けていく。
避けろ、と言う間もなく、魔物は三日月の前まで一気に駆け抜け、そして静止した。
三日月の前で静止した魔物は、そのまま崩れ落ちる。
その右手に抜身の刀が握られているあたり、迎え討ったことは明白だった。
「はっはっは。やあ、見たこともない敵だったが、刀が通じてよかったな」
「一瞬かよ……」
見たところ怪我もない。
悠々と、三日月は腰から吊り下げた鞘に刀身を戻した。
「あんた、見かけによらず強いんだな」
「刀だからな」
鞘を拾い上げ、剣を収めようとしたところで、その手を三日月が止める。
何事かと見れば、刀を見せろと告げた。
「ふむ、良い刀だ」
「ま、使い勝手はいいけどな」
「名はなんという?」
「確か、ニバンボシ、だったと思うけど」
ユーリはこの名前を、密かに気に入っていた。
なぜ、と聞かれても、その理由を人に語ることは絶対にしなかったが。
「良い名だ。やはり良い刀には良い名だな」
それからの三日月はどういうわけか上機嫌で、ユーリを追い抜きそうな勢いで歩いて行く。
「月と星か。夜であれば風情もあるな」
「なら、夜まで待つか?」
「はっは。俺は夜目が利かなんだ」
歩くのも、ましてや戦うのも無理だ。
悪びれた様子もなく、落ち込むふうでもなく、それが当たり前のようにそう言う。
そのうちに、二人はハルルに到着した。
「俺はリタ……あー、人を探してくる。先に宿に行っててくれ。ここを真っ直ぐ行ったところだ」
「あいわかった」
町の入口で別れ、魔導師が集まる民家へと走る。
そこにいなくとも、さほど大きくもない町だ。
すぐに探し人は見つかるだろう。
だがその予想に反して、探し人は町のどこにもいなかった。
魔導師仲間に聞いてみれば、数日前から帝都に出かけているとのことだった。
なかなか会えない親友に会いに行ったのだと思えば怒る気も起きず、仕方なく宿に向かった。

「って、いねーし」
困ったことに、宿の中にも宿の前にも、同行者の姿がない。
宿の受付に聞いてみれば、そもそも宿に立ち寄ってすらいない。
元の世界に帰れたのならそれで良いが、と頭をかき、気分転換にハルルの結界魔導器でも見てこようと坂を上った。
その先に、探していた青い装いがあった。
「おい」
頭を小突けば、おや、と笑う。
その視線は、すぐに大樹に戻された。
「この樹は、桜か」
「サクラ? いや、これはルルリエだろ」
「そうか」
元の世界に似たような樹があるのか、と問い詰める気にはならなかった。
風に舞う花びらと、その大元を見上げる横顔は、妙に絵になる。
つられて樹を見上げれた。
探し人は、遅からずこの町に帰ってくるだろう。
わからないことの解明は、それからでいい。
物見遊山でぶらついていただけだ、目的もなければ、急ぐものでもない。
「ミカヅキ」
「何だ?」
「リタが帰ってくるまで、この町に泊まって待つか。あんたは、この樹が気に入ったみたいだしな」
「そうだな」
柔らかく笑う三日月は、数時間の付き合いしかないユーリでもわかるほど、嬉しそうに見えた。
このマイペースにもう少しは付き合ってやろうと腹を決めて、また揃って樹を見上げた。