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春夏冬仲

鬼の霍乱

数日前から体調は悪かったが、その日、勝家の体調は最悪に最悪だった。
風邪を引いたことは久しぶりであり、しかもこれほど重症なのは子供の時以来だった。
体が沈んでいくようだ、と思いながらつい携帯を手に取った。
こういう時、一人暮らしというのは些か不便なものだ。
政宗や左近はどうしているだろうか、となんとなくアドレス帳を開き、『左近』のところで指を止めた。
会いたい、などと思うのは、きっと熱に浮かされているせいだ。
弱っているせいで、ただ一人が寂しいだけだ。
しばらく眠れば、多少はよくなるだろう。
そうしたら薬を買いに行こう。
数日で完治してくれるだろうか。
そう思いながら、体を丸めて眠った。

「おっはよー! 勝家ー……って、あれ?」
「勝家ならいねーぞ」
昼休み、左近が二年一組を訪れると、そこに勝家の姿はなく、伊達が野球部仲間と思しき生徒たちと昼食を食べていた。
今は朝じゃねえぞ、おはようじゃねえだろ、というツッコミを無視しつつ、勝家の机に近付いてみる。
机の中は空。横に鞄もかけられていない。
「今日、休み?」
「ああ」
「なんで?」
「知るか」
勝家がいないなら、生徒会室で食べようかな、でも三成様怒りそうだな、などと考えていると、左近の携帯に着信があった。
画面には『勝家』と表示されている。
ナイスタイミング、と思いながら耳に当てた。
「もしもーし。珍しいな、勝家から電話」
だが勝家からの答えはない。
時折衣擦れのような音と、苦しそうな息遣いが微かに聞こえるだけだ。
「勝家? なんかあったのか?」
やはり返事はない。
そのうちに、ぷつりと電話は切れた。
「勝家、どうした?」
「よくわかんね。俺、放課後行ってくる」
「おう。……って、勝家の家、知ってんのか」
「夏休みに行ったけど」
「Damn……」
まだ勝家の家がどこにあるのか知らない、と言う政宗に少し勝った気分で、左近はひとまず教室に戻った。
風邪かな、そういえば体調悪そうだったよな、と考えながら必要そうなものを書き出して午後の授業をやり過ごす。
一度だけ教科書の問いを当てられ、近くにいた三成に場所を教わって事なきを得た。
勿論、授業の後で三成には叱られたわけだが。

それからしばらくして、枕元で鳴る携帯の音で目を覚ました。
相手が誰かも確認せずに、携帯を耳に当てる。
「……はい」
「勝家? 調子どうだー?」
「……左近?」
勝家の声を聞くなり、まだダメそうだな、と左近は言った。
「今コンビニにいるんだけどさ、あとの道順覚えてね」
「コン、ビニ?」
「あんたん家の近くのコンビニ」
「……迎えに行く」
重い体をゆっくりと起こす。
立ち上がってみると、足元が覚束ない。
「いーって。熱あんだろ。なんとか探してみるわ。俺の記憶力なめんなよ」
電話はぷつりと切れた。
何故左近が、と思いつつも、これから来るというのだから準備くらいは、とドアの鍵を開けた。
そこで限界だった。
情けなくも、ふらふらとベッドに戻り、横になる。
着替えたり、左近にお茶のひとつでも用意するような余裕は、今の勝家にはない。
ベッドに横になってすぐに、インターホンの音がした。
開いている、と言うより早く、ドアが開けられる。
「おーい。生きてっかー?」
左近はベッドの横にあるテーブルに何やら買い込んできたビニール袋を置き、勝家の額に手を伸ばした。
それほど冷たくもないはずの左近の手が、妙に冷たく感じる。
「けっこー熱あるな。薬買って来たけど、飲む?っつか、何か食った?」
「何も……」
「じゃあまずは飯だな。冷蔵庫とキッチン借りる」
言うが早いか、左近は冷蔵庫の中身を漁り出した。
見られて困るものは何も、それどころか生活に必要なものすら何も入っていないような冷蔵庫だ。
ご飯と卵とネギ、よし十分十分、と言いながら、左近はいくらも使っていないキッチンに立った。
手際よく調理を進めているらしく、いい匂いが漂ってくる。
30分も経たずに、器に盛られたネギ入りの卵粥が出てきた。
緩慢な動きでベッドから這い出て、テーブルの前に座った。
「……いただきます」
「はい、どーぞ」
れんげで掬って、一口。
美味しい、と小さく感嘆が漏れた。
一昨日の残りのご飯と、賞味期限の切れた卵と、しなびたネギでよくここまでつくれるものだ。
半分ほど食べ進めたところで、ちらと左近を見やると、勝家をじっと見つめていた左近と目が合う。
「何故、来た」
「え? なぜ、って?」
「何故、私が風邪だと知っていた」
「ここんとこ、体調悪そうだったからな。それに、昼休みに電話してきたっしょ」
「……は?」
ほら、と履歴を見せられると、確かに勝家からの着信。
勝家の携帯にも、左近に発信した履歴が残っている。
「珍しくあんたから電話がかかってきたと思ったら、何も聞こえないから。耳澄ましてみたら苦しそうな声聞こえるし、ヤバいかなって思ってさ」
「……そうか」
学校帰りに寄ってくれたのだろう、制服のままだ。
申し訳ない、と思い、食べながら眺める。
そのうち、左近はへらりと笑って、なかなか珍しいものが見れた、と言った。
勝家は改めて自分の姿を顧みた。
なるほど、確かに寝間着姿で弱っている様子は珍しい。
全て食べ終え、御馳走様でした、と手を合わせると、左近は食器をキッチンに下げつつ、コップに水を注いで戻ってきた。
テーブルの上にあれこれ薬を広げる。
「薬のアレルギーってあるんだってな。あんたはそういうの、平気?症状がわかんなかったから、色々買ってきた。これは熱、これは頭痛、これは咳、これは鼻水、これは全体的に効くって」
とりあえずつらいのは熱だが、他に症状が出ないとも限らない。
全体的に効く、と言われたものを手に取って、用法通りに飲んだ。
あとは寝てな、と言われてベッドに戻り、横になる。
左近は先程の食器や、今使ったコップを洗ったら帰るらしい。
「左近」
「んー?」
じゃあな、と部屋を覗いた彼を呼び止め、ありがとう、と小さく呟く。
だがくぐもって聞こえなかったのか、なに、とベッド脇に寄ってきた。
「ありがとう……」
「うん?」
「ありがとう……!」
「んんんー?」
そこまで言ってやっと、左近はふざけているのだと合点がいった。
もう言わない、とそっぽを向くと、三回もどーも、と返ってくる。
しっかり聞こえていたんじゃないか、と内心不満だったが、感謝していることには変わりない。
左近はあれで、自分のことを心配しているのだろう、と勝家はぼんやり考えていた。
案外様子も見ている。風邪を引いたと言えば、家まで来る。
思い返せばこれまで、左近に誘われてばかりだった。左近に与えられてばかりだ。
たまにはこちらから誘ってみようか。少しずつでも返していけるだろうか。
などと考えたのは熱のせいだと思うことにして、目を閉じた。

左近と政宗のいる、何気ない日常を夢に見た次の朝、熱はすっかり引いていた。
まだだるさは残るが、もう行ってもいいだろう。
普段は少しばかり煩わしいと感じていた日常が、今は少しばかり懐かしかった。
それもきっと熱のせいだろうかと額に手をやるが、やはり熱は引いていた。

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