春夏冬仲
恋愛ますたー
「そういえば勝家、ピアスどうなった?」
暑さも和らぎつつある秋晴れの日、放課後に左近はそう切り出した。
夏休み前に買った、あのピアスだ。
その時に左耳だけ穴を開け、今はまだファーストピアスを着けている。
あれから毎日手入れはしていたし、左近も時折様子を見てくれていた。
膿んだりはしていないし、穴も程よく完成されている。
「そろそろ付け替えてもいいんじゃね?」
「お前がそう言うのなら、任せる」
自分では上手く外せない、と言えば、左近は座っていた椅子を近付けた。
大抵の生徒は部活動に行ったか帰宅を済ませていて、教室には二人しかいない。
勝家が残っていたのは日直だったためだ。
それに付き合って残る左近は律儀だ、と勝家は多少は申し訳なくなった。
左近は勝家の髪を耳にかけようと、一束すくった。
「うわ、あんた髪質いいね」
硬いと思っていた髪は意外にも柔らかい。
加えて、男にしては細い方であり、触り心地は割と好みだった。
ピアスを外すのをすっかり忘れて髪を弄り回していると、勝家が頭を振って睨む。
「あまり耳元を触るな」
その顔が赤いのは、きっと夕日のせいだけではない。
「もしかして、耳弱いとか?」
「いや、こそばゆい」
「それ、弱いって言うんじゃね」
普段なかなか見られない勝家の弱点。
左近はおもしろがって、耳元に指を這わせた。
「止せ、気持ちが悪い……!」
「まーまーいいじゃん。減るもんじゃなし」
「そういう問題では、」
ガラリ、と教室のドアが開き、勝家と左近は思わずそちらを振り返った。
勝家はどうということはないが、左近はやましい気持ちが多少あっただけに、なんとなく気まずい。
そこに立っていたのは、教室のドアをくぐるのに身を屈めるほどの長身で、長い髪を頭頂部で結った男子生徒だった。
「あれ、左近」
「慶次さん!」
「そっちのあんたは、柴田さんだっけ。転入生の」
すぐ近くの椅子を引いてそこに腰を下ろしたこの生徒は、2年5組の前田慶次だった。
慶次の方は勝家を知っていたが、他人にまるで興味のない、クラスメイトすら全員は覚えていない勝家に、4つも向こうのクラスの慶次が解るはずもなかった。
「どういう知り合いなんだ」
「あー……俺がヤンチャしてた時にちょっと、っていうか……」
「まあそこはあんま触れないでやってよ」
触れられたくない過去のひとつや二つはある、と言われれば勝家も納得した。
斯く言う勝家も、左近風に言えば『ヤンチャ』していた時期があった。
「で、どうしたんすか、慶次さん。勝家に何か用事とか?」
「いんや?」
「じゃあ俺?」
「そうでもないよ。帰ろうかなーと思ってたら、楽しそうな声が聞こえたもんだからさ」
楽しそう、と言われ、勝家は眉を顰める。
少なくとも勝家は全く楽しくなかった。
左近は左近で、気まずそうに目を逸らしている。
「まさか学校でお盛んなことでもしてんのかな、と思って聞き耳立ててたらどっちも男の声だったもんだから、ついドア開けちまったよ。悪かったね」
「いや、別に何も悪いことはないっすけど」
「それは出歯亀ではないのか」
「けど、まさか左近と柴田さんがねえ。どっちもノンケだと思ってたけど、そういう関係かい?」
「んなわけねーっしょ!」
「冗談は止めて頂きたく。さもなくばその口を縫い付けて差し上げるが、如何か」
必死になって否定する左近と、怒りを隠せていない勝家に、おっかないねえと肩を竦めてみせる。
勝家はこういうタイプは苦手でこそないが、未だに距離感が解らずにいる。
どこまで踏み込んでいいのか。どこまでも踏み込めそうだからこそ、解らなくなる。
左近と上手く付き合えているのかどうかさえ、勝家にはよく解らなかった。
「で、あんたら何してたんだい?」
「ピアスっすよ」
ほら、と勝家の髪を掻き上げれば、慶次は小さく驚いたような声を上げた。
どうやら勝家がピアスを開けていることに驚いたらしい。
「恋は人を変えるねえ」
その言葉に、勝家は慶次を睨む。
「冗談だって」
勝家は溜息を吐きながらも、鞄から対のピアスを出した。
ピルケースのような小さなケースに丁寧に仕舞われている。
それは勝家に似合いそうな色ではなく、どちらかと言えば女子が好みそうな色だった。
透明感のある、だが深い桃色。
勝家がその色を選んだのは意外で、慶次はまた少し驚いた。
左近は今度こそ勝家の髪を耳にかけ、そっとキャッチを外した。
耳朶から銀色が引き抜かれ、代わりに桃色の石のついたピアスが着けられる。
「綺麗だけど、珍しい色だね」
「確かに、勝家っぽくはないっすね」
「そうか? ……そうだろうな」
それは勝家も自覚していることらしい。
それでも今しがた着けたばかりのピアスを大切そうに指先で撫でた。
「好きな人から貰ったのかい?」
慶次が聞けば、勝家は弾かれたように顔を上げ、僅かに頬を染めた。
その横で左近は、違うっすよ、一緒に買いに行って、と説明している。
「じゃあ、好きな人が好みそうな色、とか」
「ああ、確かに」
違う、と否定するより早く、左近と慶次はにやにやと笑みを浮かべた。
そもそも否定しようがないのだ。
慶次の言ったことは全くその通りで、一目見てお市の色だと思ったら、勝家はこれを手に取ったのだから。
「お市さんが好きなんだね」
勝家は無言で慶次を見つめた。睨んだ、と言うべきか。
その無言を、慶次は肯定と受け取った。
「恋してる?」
「は……?」
肯定と受け取ったのではないのか。
そう思って疑問に眉を顰めれば、慶次は小さく笑った。
「好きと恋は別物だよ。似てるけどね。あんた、下心はあるかい?」
「下、心……?」
「お市さんとこうなりたいとか、ああしたいっていう欲さ」
「そりゃあ、男ならあるっしょ。××したいとか」
下世話なことを言う左近の頭を引っ叩く。
勝家はお市に対して、そういうものを一切考えたことがなかった。
ただ姿を見られればそれで良い。
欲を言えば、もっと近くで姿を見たり、話したりしたい、と。
「随分可愛い下心だね。けど、恋には違いない」
「恋と下心に、何が」
「解らないかい? 恋に下心はつきものだ。ま、人間なんて下心の塊みたいなもんだけどな。下世話とはいえ心は心。あって当然。まして恋なら尚更だ」
下世話な心で下心。
恋という字の下は心。
つまりそういうことらしい。
「まず相手に憧れたり、見た目が綺麗だったりで好きになる。それがだんだん、見てほしいとか、話したいとか、付き合いたいっていう欲が生まれてくるだろ。それが恋だ。相手にも同じように思われて、二人の思いが通じれば恋愛だ。そこから欲が消えれば愛になる」
「で、愛に情けが加わって愛情になって、愛が抜け落ちて情になるんすよね」
「そうそう。最後にその情もなくなったらそれでお仕舞だな」
中々えげつない話になってきた、と勝家は目を伏せた。
日直の仕事はとうに終わっている。
この場から立ち去ろうと席を立てば、二人も連れ立ってついて来た。
日誌を職員室に届ける間、女の子は胸だ、いや足だ、という話で盛り上がっている。
左近は女子の胸がいかに憧れであるかを切々と語っていた。
意外なことに、慶次はあまり女子の体について頓着しないらしい。
勝家もあまり頓着しないが、強いて言うなら足派だということは黙っておくことにした。
「失礼します」
職員室のドアを開けて担任の姿を探す。
だが、担任の姿はどこにもなかった。
「柴田。日直か」
コーヒーを啜りながら何やら作業をしていた女性教師が気付き、こちらに来る。
確か物理の雑賀孫市だったか、と勝家は思い出していた。
勝家は二年からの転入生であり、かつ物理を選択していないため馴染がない。
それは孫市も同じはずであるが、どういうわけか彼女は生徒全員の顔を名をきっちり覚えているらしい。
「私が渡しておこう」
「お願い致します」
孫市に日誌を渡すと、ようやく気付いたらしい慶次が小さく声を上げる。
「孫市せーんせ!」
「何だ、前田。お前も日直か」
「呼んだだけ!」
見上げたその頬が赤みを帯びているのは、やはりきっと夕日のせいだけではない。
その様子が、勝家には意外だった。
慶次が孫市に懸想しているというのもさることながら、好きになった相手にはもっと強くぶつかるのだろうと思っていた。
「前田氏」
職員室を離れ、校門をくぐるところでそう聞いてみれば、慶次は小さく唸る。
「うーん、まあ、そうかな。そうだね」
だが、慶次の返事は煮え切らない。
先程の、下心がどうのこうの、という話なのだろうかと勝家も左近も内心首を捻っていた。
「似てるんだ。勝気なところも、面倒見がいいところも。芯がしっかりしたところも」
誰に、とは聞くに聞けなかった。
慶次の表情は左近でも知らないほど憂いを帯びていた。
だがすぐに、また普段のような笑顔に戻ると、じゃあまたな、と手を振りながら踵を返す。
触れられたくない過去のひとつや二つはあるだろう、とつい先程の自分を反芻して、勝家もまた家路に就いた。