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春夏冬仲

寿限無(略)

暑さが残りつつも、秋雨前線がやって来たせいで連日雨続きだったある日のことだ。
学校へ行こうと勝家がアパートから出たところで、それは足元に纏わりついて来た。
「やめろ。毛が付く」
そう言いながら抱き上げてみると、それはにゃあと鳴きながら顔を寄せてきた。
勝家の手に収まるほどの子猫だった。
どうしようか、と考え込むが、まずは学校へ行かなければならない。
子猫を足元に下ろして歩き始めると、子猫は後をついてくる。
「ついて来ても何もないぞ」
子猫にその言葉が通じるはずもなく、短い足で勝家を追いかけた。
時折道端のものに気を取られたり、水たまりを超えられなかったりで立ち止まる。
その度に、勝家は気になって振り返ってしまっていた。
ついに、勝家は子猫を抱き上げた。
カッターシャツが子猫の毛で濡れるのも構わずに、子猫がこれ以上濡れないようにと胸に抱く。

「おはよ! 勝い……」
ほとんど黒に近い深緑の傘を見つけ、軽く肩を叩いてみた。
振り返った勝家の胸に抱かれたものを見て、左近はそれを見つめた。
「え、何それ」
「猫だ」
「それは見ればわかるけど」
「ならば何故聞いた」
勝家は猫など飼っていなかったはずだ。
飼っていたとしても、学校に連れてくるなど有り得ないだろう。
それなのにどういうことだと言いながら頭を撫でると、子猫は気持ちよさそうに目を細める。
それを見て、左近も少しばかり顔を綻ばせた。
「朝、どういうわけか私の部屋の前にいた。そのままついて来てしまった」
「で、どうすんの?」
「どこかで匿えないだろうか」
「どこかって?」
「生徒会室は」
無理だよ無理、俺三成様にころされちゃうよ、と左近は大仰に首を振った。
それに、と子猫の首を指差した。
小さな鈴がチリンと鳴る。
「首輪つけてるじゃん。飼い猫だよ。飼い主探した方がいいんじゃね?」
「そうか……」
勝家は少しばかり寂しそうに呟いた。
猫が好きだとは、左近にとっては意外だった。
勝家が顔を近付けると、子猫は鼻を寄せた。
「飼い主は必ず私が見つける。その間は面倒を見る故、安心するといい」
逡巡した後、勝家は呪文のような言葉を呟いた。
「寿限無寿限無オトモアイルールドルフとイッパイアッテナ長靴を履いたペロにゃんぱいあまさむにゃにゃてんし茶々丸ニャンコ先生」
「え? え?」
「寿限無寿限無オトモアイルールドルフとイッパイアッテナ長靴を履いたペロにゃんぱいあまさむにゃにゃてんし茶々丸ニャンコ先生。猫の名だ」
猫キャラの名前を羅列したのか、と左近が漸く納得したのは、あと三回ほど聞き返した後だった。
校門を過ぎ、教室へ向かう勝家を見送りながら、左近は小さく溜息を吐いた。
名前なんてつけちゃって、情が湧かなければいいけど、と。

「Morning! 勝い……」
勝家が教室に入ると、政宗はつい数分前の左近と殆ど同じような反応をした。
胸に抱かれた子猫をじっと見つめる。
「どうした、そのkittyは」
「斯々云々で、ついて来てしまった。飼い猫らしいので、飼い主を探すつもりだ」
子猫はきょろきょろとしきりに顔を動かしているが、勝家の腕から降りようとはしない。
確かにこれは人に慣れているなと思いながら、政宗はスポーツタオルを投げて寄越した。
今日の部活で使う予定だったが、この雨では部活は中止だろう。
タオルの礼を言いながら、勝家は濡れた子猫を拭いた。
手つきが乱暴だったのか、子猫が抗議でもするかのように小さく鳴く。
「アンタが猫拾ってくるなんて意外だな。自分以外に興味なんてないと思ってたぜ」
「伊達氏、私は自分自身にも興味はない。が、猫は嫌いではない。育てれば立派な猫又に成るかもしれない」
けど飼い猫なんだろそれ、という言葉が出かかったが、政宗はそれを飲み込んだ。
今までに見たこともないほど、勝家の顔が緩んでいる。
さほど親しくもない者から見ればいつもと変わらない無表情だろうが、それが笑みである、と政宗にははっきりとわかった。
恐らく左近にもわかるだろう。
「で、どうやって飼い主探すんだ」
「古典的だが、紙に書いて貼り出そうかと思う」
まずは猫の写真を、と言いながら勝家は政宗をじっと見た。
「伊達氏、すまないがカメラを貸して頂きたい」
「持ってねえよ。携帯のカメラでいいだろ」
「携帯電話にそのような機能があるのか」
勝家にとって、携帯電話は文字通り携帯できる電話機である。
それ以上でもそれ以下でもなく、それ以外の使い方もしない。使ったとしてメール機能までだ。
そういやメールアドレスも初期設定のままだったな、と思い出しながら、政宗は自分の携帯のカメラを子猫に向けた。
子猫は政宗の手にある携帯電話に興味津々で、じゃれるように前足を伸ばそうとする。
「大人しくしていろ。寿限無寿限無オトモアイルールドルフとイッパイアッテナ長靴を履いたペロにゃんぱいあまさむにゃにゃてんし茶々丸ニャンコ先生」
「は?」
「寿限無寿限無オトモアイルールドルフとイッパイアッテナ長靴を履いたペロにゃんぱいあまさむにゃにゃてんし茶々丸ニャンコ先生」
それが子猫の仮の名であり、猫キャラの名前を羅列したものかと政宗が納得したのは、やはりあと三回ほど聞き返したあとだった。
そうこうしているうちに予鈴が鳴り、一限が始まる。
結局写真は撮れず仕舞いで、四限までの授業中、子猫は勝家が胸に抱いたままだった。
時折小さく鳴く子猫は教師に咎められることもなく、むしろ和やかな雰囲気のまま午前の授業は終わった。

昼休み、当然のように左近が教室を訪れる。
左近が見たものは、子猫を抱える勝家とそれに携帯のカメラを向ける政宗、そのカメラが気になって仕方ない子猫という一見とても微笑ましいものだった。
当人たちの心境はそんなものではない、とすぐに知ることになるのだが。
「寿限無寿限無オトモアイルールドルフとイッパイアッテナ長靴を履いたペ」
「勝家、これじゃ落語になっちまうぞ」
40分しかない昼休みが子猫の名前で終わってしまう。
昼食も食べていないのに写真も撮れずではどうしようもない。
「つか、なんで名前つけたんだよ」
近くの椅子に座りながら左近がそう聞くと、勝家は僅かに視線を向けた。
「呼び名がなければ不便だろう」
「にしたってその名前……」
「何か不満か? 寿限無寿限無オトモアイルールドルフと」
「だーから! 長いんだって名前が!」
落語のように名前を呼んでいる間に飼い主が見つかる、ということがあれば良いのだがそういうわけにもいかない。
そういうわけにもいかないのだから、長い名前など不毛なだけだ。
「では、前略ニャンコ先生」
勝家が呼びかけると、子猫はみゃあと鳴く。
なんか手紙みたいだな、と思ったのは左近と政宗だけではなく、近くにいたクラスメイトのほとんどは同じことを考えていたが、勝家と子猫がそれを知る由もない。

一向に大人しくならない子猫に業を煮やし、写真を撮るのは諦めて、午後の授業まるまる使って勝家は子猫の似顔絵を描いた。
おどろおどろしい妖怪の絵でも描くのでは、と政宗は内心不安だったが、結果からすればそれは杞憂だった。
勝家は案外絵が上手い、ということを政宗は初めて知った。
放課後になって再び教室を訪れた左近も同じく。
子猫の似顔絵を書いたレポート用紙に『子猫を拾いました』の一文もつけ、斯くして手書きのチラシが完成した。
あとはこれをコンビニで数枚コピーして貼り出せば良い。
生徒会室のコピー機を使う、という手段は左近の必死の抵抗により却下された。
コピー代なら俺が出すから生徒会室のコピー機はやめてくださいマジで、の言葉通り、コピー代は全額左近持ちとなったわけだが。

「ところで、前略ニャンコ先生は生後どのくらいなのだろうか」
チラシをコピーしてコンビニを後にしたところで、勝家がぽつりと呟いた。
当然勝家の自宅に猫用のものなど何もないし、左近と政宗の自宅も同様だ。
「とりあえずmilkでいいんじゃねえか?」
「そそ。猫用のやつ」
「……そんなものはない」
じゃあ買いに行くか、と少し遠出をしてペットショップまで足を延ばすことにする。
そのペットショップの前で、髪を兎のように二つに結った少女が不意に勝家の服を引っ張った。
少女の傘には可愛らしい猫の絵が描かれている。
「にゃーちゃん?」
「私のことか?」
「いや、んなわけねーっしょ」
少女は勝家が胸に抱く子猫を指差した。
「前略ニャンコ先生のことか」
腰を屈めて少女に子猫を見せれば、少女は母親を呼びながら走って行った。
すぐに母親らしき女性と二人、戻ってくる。
母親は子猫を見るなり、ああ、と大声を上げた。
「ああ、よかった! 助けてくださって、ありがとうございます!」
聞けば、今朝少女が学校へ行くためにドアを開けた瞬間に外に飛び出してしまったのだと言う。
まさか雨の日に外に飛び出すとは思っていなかったために反応が遅れた、追いかけたが既に見失っていた、とのことだった。
警察に相談に行ったあと、雨で体が冷えているだろうから、とミルクを買いに来たら子猫を拾った勝家たちと出くわした。
子猫を母親の手に帰すと、子猫は勝家を見てまたみゃあと鳴く。
「無事帰れて良かったな」
軽く撫でてやると、猫は嬉しそうに喉を鳴らす。
いつもと同じ無表情に見えても、それはとても寂しがっている顔だと解るのは、左近と政宗しかいない。
「じゃあな、……猫」
それだけ言うと、勝家は踵を返した。
政宗は慌てて勝家を追いかけ、左近も母親に軽く頭を下げてから追いかける。
勝家は足早に、真っ直ぐと自宅へと向かった。
「寂しかったか?」
「寂しく、などは……」
「だから言ったっしょ。名前つけたら情が移るって」
「……少し、離れ難かっただけだ」
気落ちする勝家の肩を両側から叩いて、今日はぱーっと遊ぼう、とそのまま繁華街まで連行した。
ゲームセンターで子猫によく似たキーホルダーを取ってやれば、多少気も紛れたようだった。
夜には止む、と言われていた雨は、その後日付を越えてしばらくするまでしとしとと降り続けた。

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