春夏冬仲
夏の終わり
何度も言うようだが、左近はやればできる。
少なくとも、勝家はそう思っている。
ただあまりにもやらないだけで。
図書館で左近の課題を眺めながら、勝家は僅かに苛ついていた。
できるのに何故やらないのだ、という殆ど嫉妬のような苛つきだったが、勝家本人に自覚のないそれを、左近が知るはずもない。
左近にわかるのは、勝家が怒ってる、ということだけである。
件のカラオケの後、左近と勝家は半兵衛にもうしばらく待ってくれと頼みこんだ。
それに対して冷ややかに、いいよ、ただ終わらなかったら二人とも覚悟しておきたまえ、と言われたのだ。
何故自分まで、と勝家は理不尽を感じてはいたが、やるといってしまったものは仕方がない。
乗りかかったどころか、乗ってしまった船だ。
勝家はこの船に乗ったことを多少後悔していた。
自由研究以外の課題を片付けてしまおうと図書館に入り浸って六日目。
要領の良い左近は、中間と期末で勉強したこともしっかり覚えていたため、あと半日で終わるだろうというところまで来ていた。
時折わからないところを聞いては来るが、基本的に勝家は左近の監視としてその場にいるだけである。
こんなに早く終わるのなら、早々に終わらせて残りの休みを謳歌すれば良いものを。
「自由研究、どーすっかなあ」
数学の問題を解きながら、左近がぽつりと呟いた。
この学校では一年次に自由研究を出されることになっていた。
物理、化学、生物、地学の中から、それぞれが選択している科目で、である。
勝家は今春からの転入生であるため、その課題を経験していないが、物理が最もやり易い、と専らの噂だった。
自由研究だけでなく、単位も最も取りやすいと。
更に言えば、担当教師が美人でプロポーションのいい、孫市と言う女性だった。
それ故に希望が、とりわけ男子からの希望が多く、競争率も高い。
均等に生徒がばらけなかった場合、その選出方法はくじによる抽選だが、左近もその抽選で負けたくちだった。
第二希望として提出していたのが、よりによって化学だ。
単位はともかくとして、自由研究のテーマが選びにくい科目であるらしい。
物理は言わずもがな、生物と地学も担当教師の好意により『セミの種類と鳴く時間を調べてみた』や『地面を掘り返してみた』等で充分なのだが、化学だけはそうもいかない。
どうしたものか、と勝家も考え込んでいるうちに昼12時を告げる鐘が鳴り、二人は一度図書館を出た。
できるだけ日陰を歩きながら、すぐ近くのファミレスに移動する。
運良くすぐに席に案内され、それぞれに注文をする。
左近は勝家の倍近くの量を食べるため、よくそんなに入るものだと勝家は常々思っていた。
左近からしてみれば、勝家があの量で足りることの方が疑問だったのでお互い様だったが。
「いっそ爆弾でも作れば良いんじゃないか」
「こ、怖いこと言わないでよ。それ、俺捕まっちゃうし」
有機かイオンでもやっていればもう少し考えようもあったが、生憎一年の一学期はそこまで進まない。
答えが出ないまま昼食を終えて、二人揃って会計をする。
店を出る直前、ガラス戸に貼られたポスターを見て、勝家はふと足を止めた。
「ん? どうした?」
それは、町の花火大会のポスターだった。
開催日までもう一週間をきっている。
「花火か。なあ、一緒に行く?」
「……これだ」
名案を思い付いたと、勝家は左近の方を振り返った。
「炎色反応だ」
「炎色……ああ!なるほど!」
花火であれば、手に入れるのは容易い。
今時、コンビニでも売っている。
そうと決まれば、二人はすぐに図書館に戻り、残りの課題を片付けた。
帰り際、近くのコンビニに立ち寄ってみると、様々な花火がある。
左近はこれでいいかと大袋を手に取り、ついでに一本60円のアイスを二つ持って会計を済ませた。
「はい、これ。勝家の分」
「私は」
「いらない、は無しな。一週間も付き合わせちまったし、ささやかなお礼ってことで」
「一週間で60円とは、本当にささやかだな」
それはそうだけど、だって俺金ないし、と眉尻を下げる左近の手から、アイスを受け取る。
ぴり、とパッケージを破くと、見慣れた水色が現れた。
「頂こう」
一口噛むと、しゃり、という小気味いい音と共に冷たさが広がる。
研究テーマも決まった、花火も買ったとはいえ、問題はまだある。
どこでやるか、だ。
ただ花火をするだけならその辺の公園でやれば良い。
だが、実験をするとなると、それなりに器具がいる。
学校を借りられないだろうか、あとで聞いてみようか、と勝家は考えていた。
半分ほど食べたアイスの棒から、『あたり』の文字が覗いていた。
後でよくよく調べてみれば、目的の実験をする為に花火を買う必要は全くなかった。
必要な材料は改めて買い揃え、筆記用具とレポート用紙だけ持って家に来い、と勝家は指示した。
それなのに、左近は花火セットまでしっかり持ってきた。
あとでやろうと思って、と笑う。
「あんた、一人暮らしなんだ」
「ああ」
左近は物の少ない部屋をぐるりと見渡した。
勝家らしいと言えばらしいけど、と心の中で呟く。
きょろきょろしている左近に、何をしている、と声をかけると、左近は慌てて実験を始めた。
耐熱皿にアルミカップを並べ、中にアルコールを含ませた綿を置いていく。
そこに食塩やら除湿剤やら消しゴムの欠片やらあれやこれやを振りかけて火をつける。
赤、黄色、青、緑、紫など、様々な炎が小さく燃える。
「すげえ……」
何がすごいのか、左近は感嘆の声を上げた。
全ての炎を消してから、それぞれの物質と炎の色をレポートにまとめていく。
しばらくすると、外から大きな音が響いた。
どーん、という、聞き慣れた花火の音だ。
「そうか、今日だったのか」
勝家は窓を開け、ベランダに一歩踏み出した。
音は聞こえるし、空が光っているのも見えるが、家々の屋根があるために花火そのものは見えない。
「行く?」
「レポートは」
「……まだです」
勝家の小さな溜息を感じ取ったのか、左近はレポートに目を落とした。
近くで見張っているべきなのだろうが、少しばかりは夏の風物詩を楽しみたい気持ちもある。
ベランダから、薄ぼんやり光る空だけを眺めていた。
「終わったー!」
大きく伸びをした左近がベランダへ向かうのと、ベランダから室内に戻ってきた勝家が窓を閉めるのは同時だった。
「こちらも丁度終わったところだ」
八時。予定通りに花火大会は終わり、空砲が数発打ち上げられた。
左近は妙な声を上げながら、その場に項垂れた。
「ずりー。いいなー、勝家。花火、綺麗だった?」
「ここからでは見えない。空が光っているのがわかるだけだ」
「え。それ、楽しいわけ?」
「楽しいわけがないだろう。だが、お前を置いて一人で花火を見に行くわけにも、」
そこまで言って、勝家は口を噤んだ。
目の前で口の端を緩める左近がいる。
「なら、やっぱ花火持ってきて正解だったな!」
言うが早いか、左近は勝家の手を引いてアパートを飛び出した。
小さなアパートの前の、車通りも人通りも少ない道路。
掃除用のバケツに水を入れて、傍らに置いた。
左近は来る時に買ったらしい小さな100円ライターを取り出し、着火用のろうそくに火を点けた。
手持ち花火の先端に火を点けると、色とりどりの火花が飛び出す。
これはこれで綺麗だと、つい勝家の頬が緩んだ。
「楽しそうだな、勝家」
「ああ。悪くない」
元々実験のために買った花火だ。数はそれほど多くはない。
花火はすぐに尽きてしまった。
あとはこれだけだな、と左近は数本の線香花火を手に取った。
線香花火を纏めている紐を切り、そこから一本を受け取る。
火を点けると、ちりちりと小さく燃えていく。
落とさないよう慎重に、と思っていると無言になってしまうのは、左近も同じらしい。
やがて最後の火種がぽつりと落ちた。
「……終わっちゃったな」
「そうだな」
「まあ時間も時間だし、そろそろ帰るわ」
燃やし終わった花火を片付け、揃って部屋に戻った。
左近は荷物をまとめ、それじゃあ、と帰ろうとした。
帰り際、勝家は箸立てに差し入れておいた先日の当たり棒を手に取って差し出した。
「あんた、おもしろいとこに当たり棒入れてんな」
「ああ。お前に渡そうと思っていた」
「俺に?」
左近は不思議そうな顔で、勝家と当たり棒を見比べた。
見比べるばかりで、受け取ろうとはしない。
「アイスそのものはお前の金で買ったのだから、お前のものだ」
「そんなん、いーのに。じゃあ今日のお礼ってことで、受け取って」
「いや……ならば今日の頑張りの褒美として」
「褒美って。今日頑張れたのだって、勝家のおかげだよ」
埒が明かない、と勝家は左近の手を掴み、少しばかり強引に握らせた。
普段では有りえない行動に、左近は目を丸くする。
「……すまない。だが、きちんと洗ってある故、汚くはない」
「あ、いや、んなこと気にしてねーけど」
何でそんなに俺に当たり棒あげたいんだろう、もしかしてこのアイス嫌いだったかな。
と、左近が考えている間に、勝家は小さく俯いて、薄く口を開いた。
「先日のカラオケも、今日の花火も、少なからず楽しかった。お前に振り回されるのも、悪くない」
それが、勝家なりの不器用なお礼だと気付いて、左近は小さく笑った。
未だ握られたままの手から、アイス棒を受け取ると、漸く勝家の手が緩む。
「じゃ、ありがたく貰っとくよ。来年はさ、花火、行こうな。竜さんとか、三成様とか、皆で。縁日も見て回ったりして」
「来年のことなど、鬼が笑うぞ。だが、そうだな。考えておく」
「おう。そんじゃあな。また明日」
また明日、と珍しく返事が返ってきたことに気を良くして、左近は軽い足取りで家に帰った。
翌日、折角書いたレポートを家に忘れていく、とはこの時はまだ誰も知らない話である。