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春夏冬仲

ピアス談義

「さ、さこん……」
「んー?」
くすぐったい、と勝家は小さく身を捩った。
耳元というのは、元来敏感なものなのだ。
「や、やはり遠慮する。私にはまだ早い」
「ここまで来て、今更やめる、なんてナシだぜ」
左近はその耳殻に軽く指を這わせる。
その度に小さく震える勝家を面白がっているかのように。
「ほ、本当に痛くないのだろうな」
「任せな。俺、けっこー上手いから」
頬に指が触れて、びくりと勝家の体が震える。
だいじょーぶ、と言いながら背中を軽く擦られた。
とはいえ、左近もやはり多少緊張しているのか、ごくり、と揃って固唾を飲み込んだ。
「……じゃ、いくぜ」
左近が、ぐっと力を込めた。
「いっ……」

バチン、という音と共に、耳に一瞬の衝撃。
確かに、音に驚きはしたが、思っていたほど痛くはない。
最後に、左近はスタッドを少しだけ耳朶に押し込んだ。
「ほら。痛くなかったろ?」
「思っていたほどは」
不慣れな感覚に、勝家はピアスを何度も触った。
その度に、あんまり触るな、と言われる。
何故こんなことになったのか。
その説明には一時間も遡らない。

事の発端は、買い物に行きたいからついて来てくれ、と左近が言ったことだった。
なんでも、新しいピアスを買いたいのだと。
既にお前の耳は穴だらけだろうと勝家が言えば、穴は増やさないけど着け替えるんだ、と左近は返した。
ピアスそのものは校則で取り締まられてはいない。
が、左近はあまりにも度が過ぎると注意されていたはずなのだが。
しかしそんなこと本人にはお構いなしだ。
そもそも男二人でアクセサリーショップに行くところからして何かが間違っているのだが、勝家は軽い返事で了承してしまった。
買い物に付き合ってくれと言われ、本屋にでも行くのだろうか、などと考えていたのである。
普段の左近を思えばそんなことがあるはずはない。
来たは良いが、勝家は左近と違ってアクセサリーの類もつけなければピアスホールも開いていない。
手持無沙汰になって店内をぶらぶらと見ていると、並べられたピアスにふと目が留まった。
ただ石が付いただけの、シンプルなピアスだ。
なんとなくそれを手に取って、綺麗だな、と思ってしまった。
そうなってからの左近は早かった。
それ買うの、けど穴開いてないっしょ、よし俺が開けたげる、とあっという間に話は進み、気が付いたら彼の家だった。
彼はいつの間にかピアッサーをしっかりと購入していた。
いそいそと準備を進め、そして冒頭へ戻る。
勝家の耳に光る銀色を見て、左近は満足そうだった。
恐らく彼は善意ではない。
自分と同じような違反者を増やしたいだけなのだろう。
とはいえ、ピアスひとつくらいでは注意はされないだろうが。
そもそも左近が注意される原因はピアスだけではない。
派手な髪、派手なシャツ、派手なベルト、おまけにブーツ。数え役満だ。
先程半ば強引に買わされたピアスはまだ着けていない。
今は、ピアッサーにセットされていたものを着けている。
いきなり両耳開けるとケアが大変だ、と言われ、とりあえずは片耳だけを開けた。
どちらかの耳は同性愛者の印と聞いたことがあるが、左耳は果たして大丈夫なのだろうかと考えを巡らせた。
左近に聞いたら、何それ、と言われたため、もう頼りにしないことにした。
その後でケアの方法を聞き、その日は何事もなく別れた。
ちなみに左近が買ったものは、指が丁度通るくらいのリングピアスだった。
あんなものを着けたら、間違いなく三成や吉継に引っ張られるだろうと勝家は思ったが、そんなことは彼の知ったことではない。

それから数日。
左近に言われたとおり、毎日のケアをしっかり行っていたおかげで、今のところ不調はない。
だがその日、試練はやって来た。
風紀委員による検閲があったのだ。
普段の勝家なら挨拶をしつつ門を通過するだけのイベントだが、今回はそうはいかない。
もしかしたら止められるかもしれないのだから。
何より、風紀委員は彼が最も苦手とする浅井長政だ。
苦手、というよりは一方的に嫌っていると言うべきか。
ピアスを開けた時以上に緊張しながら門に足を踏み入れると、黒髪の女子生徒がくるりと振り返った。
彼女が振り返る瞬間だけがやたらスローに見える。
この女子生徒、お市こそが、勝家が長政を一方的に嫌う理由である。
つまるところ、恋敵だ。
勝家はお市をじっと見つめて、僅かに頬を赤らめた。
お市様、今日も変わらずお美しい。
お体が丈夫でないというのに朝からこんなものに駆り出されて、お労しや。おのれ浅井長政。
何が気になるのか、お市の方も勝家をじっと見つめている。
これはどういうわけだ。検閲よりも緊張する。
自分の中から有り得ない程大きな音が聞こえる。心臓が耳の真横にあるようだ。
「あなた……」
桜貝の如き唇が言葉を紡ぐ。
恐らくピアスのことを知っておられるのだろう。
髪に隠れて見えないと思っていたが、このお方は知っておられるのだろう。
その口から紡がれる言葉であれば、どんな言葉も聞き逃さず、またどんな暴言でも受け止めましょう。
さあどうぞご存分に。
と、勝家は覚悟もとい期待をしたところだった。
「……ピア」
「貴様ぁー! 何だ、その出で立ちはぁー!」
その言葉は、長政によって遮られた。
おのれ、どこまでも私の邪魔をする、と密かに奥歯を噛んだ。
振り返ったお市につられてそちらを見れば、そこにいたのは左近だった。
へらりと笑いながら、どーしたんすかぁ、などと言っている。
「どうしたではない! 派手な髪! 派手なシャツ! 派手なベルト! 大量のアクセサリー! ブーツ! 数え役満だ!」
「えっ、マジで? 俺すっげ! つか、浅井サンも麻雀とかやるんすね」
「今はその話はどうでもいい! すぐに着替えろ!」
「ええー、だってこれ俺のアイデンティティっすよ。着こなしって性格出るっしょ。なんてーの? 人生そのもの、みたいな」
よくもまあこれだけの言い訳が出てくるものだと勝家は逆に感心した。
そういうことは私服でやれ、と長政が言いたくなる気持ちもわからないでもない。しかし同情はしない。
長政と左近が口論を、というか一方的に長政が怒鳴っている横で、長政さま、とお市は小さく呼んだ。
「む、どうした市? その御仁は?」
長政は勝家を上から下までちらりと見た。
「ふむ、良し!」
「……行って良いって」
勝家はお市だけに頭を下げて漸く門の中へ踏み出す。
じゃあ俺も、とその後ろを左近が付いて来ようとする。
「島! 貴様は待て!」
「何でさ。ほら、勝家だってピアス開いてんじゃん。左耳に」
「貴様は『開いてる』どころではないだろう! 何個開けている!」
「右に六つで左に三つだけど」
二人の声を背中に聞きながら、校舎の入口にあるマットで軽く靴裏の汚れを落とす。
教室に入ると、窓枠に座って校門を眺めていた政宗がこちらに振り返った。
「Morning! 勝家!」
「伊達氏。お早うございます」
「珍しく止められてたな」
「これのせいかと」
髪を掻き上げてピアスを見せれば、政宗は軽く口笛を吹いた。
「何だ、ついにbad boyの仲間入りか?」
「冗談は止めて頂きたく」
確かにこれを開けたのは左近だが、未だ校門にいる左近と同列扱いされるなどどうにも癪だ。
青Tシャツの上にカッターシャツを羽織っただけという出で立ちの彼ですら通過できたのに、左近ときたら。
そう問えば、野球部の朝練に託けてジャージで登校してきた、と彼は言った。
なるほど、賢しい。
「時に、伊達氏」
「Hum?」
「片耳のピアスは同性愛者の証と聞いたのだが、左耳は大丈夫なのだろうか」
伊達はしばらく私の耳を眺めた後、にやりと笑った。
この人は本当に悪い笑い方をする、とは勝家が常々思っていることである。
「それは右だな。左なら勇気と誇りの象徴だ」
よかった、とほっと胸を撫で下ろした。
勝家に勇気と誇りがあるかはともかく、同性愛者ではなかった。
俗説には違いないが、やはり気になるものは気になるのだ。
政宗は口元がにやけたまま、また門の方に振り返った。
「あいつは右の方が多いから、もしかしたらgayかもな」
誰を差しているかはわかる。
校門で未だに浅井から解放してもらえない、彼だ。
「右は六つだと言っていた」
「偶数か。よし、確定だな」
これはいいことを聞いた。どうせすぐに会うのだから、そうしたら存分にからかわせてもらおう。
そう言うと、政宗は笑った。
それからずっと校門を眺めていたが、左近が解放されたのは、予鈴が鳴る直前だった。

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