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愛しいぬくもり

※生理ネタ

今回は珍しく天行で任務があった。
だからマヒルに、終わったら一緒にご飯でも食べよう、と声をかけていた。
マヒルもそれを快諾してくれたのだが、直前でマヒルのほうにも急な任務が入ってしまい、会えないと告げられた。
更に間の悪いことに、私は私で任務の二日前から予定外の鈍痛に襲われることになった。
これだったらマヒルに会わなくてよかった、と安心した反面、昔はこういう時はいつもマヒルがそばにいてくれた、と思うと無性に会いたくなる。
天行での任務を予定通りに終え、痛む腹部をこっそりと押さえながら、メンバーたちに別れを告げる。
このまま長距離の電車に乗って帰るのは無理そうだ。いないとわかっていても、マヒルの家を訪れた。
ここは私の第二の家になりつつある。電子錠に指紋は登録してあるし、好き勝手に使っている。
部屋に上がり込み、電気もつけずに荷物を床に放り投げて、ソファーに体を預ける。
階段を上がってベッドに行く気力もないし、そもそもベッドを汚してしまう可能性もある。
かといってシャワーを浴びる気にもならず、着替える気すら起きない。
クッションならばさいあく汚してしまっても買い換えればいい、と思って腰の下にクッションを敷き、体を丸めて目を閉じた。
それでも下腹部の痛みが引くことはなく、何度も深く息を吐いた。
「痛いよ……マヒル……」
今ここにいない相手に弱音を呟いて、目尻に涙が浮かぶ。
それを乱暴に指で拭って、痛みから逃れるように意識を遠ざけた。

それからどのくらい経ったのか。
体を揺すられて、どうにか目を開けると、目の前にはいないはずのマヒルがいた。
彼にしては珍しく息を切らせて、額には汗が滲んでいる。
急いで帰ってきた、と言わんばかりだ。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
大丈夫、とは言えず、ゆっくり首を振る。心配そうな顔をしたマヒルが、スマホを握り締めていた。
「救急車を呼ぶか?」
「いらない……」
「でも」
「いつもの……」
腹部を押さえるその様子で、マヒルは全てを察してくれた。
ひとまずよかった、と言いながら胸を撫で下ろし、床の上に座って目線を合わせてくれる。
「まだ時期じゃないよな? 早まったのか?」
「うん……」
「予定外に来たから、予想外に重くなった、ってところか」
頭を撫でる手が心地良い。
これに関しては私と同じくらいか、ともすれば私より詳しい。
マヒル自身には起こり得ないことだから、と昔からあれこれ調べてくれて、私を気遣ってくれる。
「任務は……?」
「家の鍵が開いたから、セキュリティアラートが来たんだ。お前が来ると思ってなかったから、オフにしてなくて。家中に監視カメラがあって、全部屋の様子が見られるようになってるだろ。そしたら真っ暗な部屋から、痛いよーって声が聞こえたから、急いで帰ってきた」
さっきの独り言を聞かれていたのかと思うと恥ずかしくなる。
頭を撫でるマヒルの手を外して、軽く押し返した。
「ごめん……もう大丈夫だから、艦隊に戻って……」
「謝るようなことじゃないし、そんな顔してるお前を大丈夫なんて思えないし、艦隊の仕事は全部片付けてきた。今はお前の言うことを何でも聞く、お前だけのマヒルだ」
それならば甘えてしまってもいいのだろうか。
握ったままの手をもう一度引き寄せて、頬を撫でてもらう。
マヒルの親指が頬をなぞるたび、それだけで痛みが和らいでいくような気さえした。
「会いたかった……」
絞り出した声は思ったより涙声になってしまい、マヒルが顔を近付けて、額にキスをくれる。
そういえばシャワーも浴びていないのに、汗臭くないだろうかと心配になったが、マヒルだって帰ってきてまだそのままだ。
何も気にしなくていい、とマヒルにしがみついた。
大きな手に腰を撫でられて、少しずつ楽になってくる。
それも察したのか、マヒルはゆっくりと体を放していった。
「痛み止めを取ってくる。それから、温かいハニージンジャーティーも作ってくる。ちょっと待ってろ」
離れていくマヒルに一抹の寂しさをおぼえて、最後まで指先を握る。
その指先もそっと外されて、マヒルはキッチンに消えていった。
目を閉じると、またすぐに眠気がやって来る。
起きているより、眠ってしまったほうがいくらか楽だ。
けれど眠りに落ちる前に、再び体を揺すられた。
マグカップを持ったマヒルがやはり心配そうにこちらを覗き込んでいる。
支えられながらどうにか体を起こしてソファーに座ると、マヒルもすぐ横に座ってくれた。
マヒルにもたれて痛み止めを飲み、受け取ったハニージンジャーティーを口に運ぶ。
心地いい温かさに、感嘆の吐息が漏れた。
「寝たいならベッドで横になれ。オレが運んでやるから」
「でも、汚しちゃうよ」
「タオルを敷いておいた。だから気にするな」
今、この一瞬の間にそこまでの用意をしてくれたのが素直に嬉しかった。
ゆっくりハニージンジャーティーを飲み終える頃には、体も温まってきた。
本当は自分の足で歩いてベッドに行くこともできたけれど、まだ甘えていたい。
マヒルに向かって手を伸ばすと、マヒルは背中と膝の裏に腕を回して抱き上げてくれた。
首にしっかりと抱きついて、慣れ親しんだベッドまで運ばれる。
ベッドには彼の言ったとおりタオルが敷いてあり、掛け布団と体の間にもタオルが挟まるようセッティングされている。
その様子に安心して横になった。
鈍痛はまだ去ったわけではなく、瞼もまだ重い。
ゆっくりと腹部を撫でる手を感じながら深呼吸をしているうちに、私はついに眠ってしまったようだった。

起きる頃にはすっかり朝になっていて、万全とは言えないながらも不調はかなり消えていた。
思った通り少し汚してしまったタオルを回収し、着替えを持ってシャワーを浴びに行く。
シャワーを浴びるついでにタオルと服を軽く予洗いして、そのまま全部まとめて洗濯機に突っ込んだ。
体の汗と汚れを洗い流し、着替え終えてリビングへ向かうと、ちょうどマヒルが起きてきたところだった。
「おはよう。もう平気か?」
「うん。昨日はありがとう」
気にするな、とでも言うように、マヒルは首を横に振った。
マヒルはそのままキッチンに入り、私はダイニングテーブルに座って朝食を待つ。
普段なら、甘えるな、手伝え、と言われるけれど、こういう時は何も言われず、マヒルは手際よく朝食を作ってくれる。
こればかりは、この時だけの特権だ。
「大体、月に一回、四日から五日の間ずっと体調が悪くて、その間ずっと出血してて、それが病気でもなんでもなく『人体の仕様』なの、どう考えてもおかしいよ。神様は七日間で世界を作らずに、一年くらいかけてじっくり人間を作ってくれたらよかったのに。自然界なら人間なんてとっくに淘汰されてるよ」
スクランブルエッグをトーストに乗せながら、フォークをマヒルに突きつけて抗議する。
先端を人に向けるんじゃない、と宥められながら、傍らの牛乳を飲み干した。
「痛みが引いたら、元気だな」
「元気だよ。元々病気じゃないんだから」
トーストに勢いよく齧り付く。スクランブルエッグの甘みと塩味はちょうどいい。
焼き方も硬すぎず、柔らかすぎず、ほどよく蕩けて美味しい。
パンの端から零れたスクランブルエッグが頬についた。マヒルは笑いながら、その頬を拭ってくれる。
その朝食のおかげも相まって、体調はすっかりよくなっていた。
「今日、仕事は?」
朝食を終えて、片付けをしながら問いかける。
マヒルが洗ったものを手際よく受け取りながら拭いていった。
「午後からだ」
「じゃあ私も一緒に出るよ」
そのほうが一括で済むし、駅まで車で送ってもらえる。
その目論見は読まれていたようで、子供のように頭をくしゃくしゃと頭を撫でられた。

助手席に乗って、車は駅までの道を行く。
道路は少し混んでいて、駅まで回っていたらマヒルが遅れてしまうかもしれない。
駅まであと数百メートルのところで、私は車を止めてもらうよう頼んだ。
ここなら次の路地を曲がれば、元の道に戻るのは簡単だ。
駅前に入るより、数分は早くなるだろう。
「ここで大丈夫。ありがとう」
車を降りて振り返ると、運転席のマヒルは助手席側に少し身を乗り出した。
「本当にもう平気か? 終わるまでうちにいてもいいんだぞ」
その言葉に首を振る。そこまで世話はかけられないし、私にも仕事がある。
半日だけでもマヒルと過ごせて、体調も気分もだいぶ落ち着いていた。
「平気だよ。家に着いたら連絡するね」
「そうしてくれ」
「あと、またお腹が痛くなっても連絡しようかな」
「オレとの電話で気が紛れるなら、いくらでも」
「……寂しくなったら、連絡していい?」
「もちろん」
どこまで甘えても、マヒルは許してくれるだろう。
身を屈めて手招きすると、マヒルは更に身を乗り出した。
シートベルトが伸び切るほど体を傾けて、助手席のシートに片手をつく。
私は窓から車内に顔を突っ込むと、マヒルの頬にキスをした。

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