main

悔しいのは 5題

3.あなたが疎まれること

近寄りがたい。
そんな話を聞き始めたのは、いつからだっただろうか。
恐らく、彼の発病が公になってからだ。
半兵衛の手前、気味が悪い、感染るかもしれない、と直接言うものはいなかったが、そういうことだろうと理解はしていた。
感染るものか、と一人ごちる。
彼は優秀だ。
性格に多少難がある、半兵衛と相性は良くないにしても、戦術の才は認めざるを得ない。
彼がいれば豊臣も、その先も安泰だというのに、彼に伝えてくれと頼めば、誰もが言い澱む。
結局いつも自分が行く羽目になっていたが、それでも彼の病が半兵衛に感染ることなどこれまでなかった。
感染らない病なのだ。
あるいは、半兵衛が既に病を抱えているからか。
どちらでもいいことだ。どうせそう長くはない僕にとっては。
その考えを振り払って、吉継の居室の前に立つ。
「大谷君」
呼びかければすぐに、戸が開いた。
「あいな、ここに」
「失礼するよ」
一応は気を使って一言ことわり、部屋の中に腰を下ろす。
陣図を広げると、吉継もそれを覗き込んだ。
「策を考えているんだけど、君の意見を聞かせてくれないか」
「やれ、賢人殿に、われが口を挟める余裕などありましょうか」
こういうところだ。
半兵衛は吉継のこういうところが、どうしようもなく嫌いだと思っていた。
だがこれも秀吉のため、性格の不一致くらい耐えるさ。
それは吉継も同じことで、半兵衛は気に食わないが三成のために半兵衛に協力しているだけなのだろう。
お互いに、能力は認めている。
「……成程。これで挟撃に持ち込める」
「天候が味方いたせばな」
天命を待つ、というのは本来好きではないが、天候ばかりは仕方がない。
それに、天候に味方されなければ勝てないほど脆弱な策ではない。
天候に恵まれればより楽になる、それだけのことだ。
「ありがとう、助かったよ」
一応謝辞だけは述べて、立ち上がる。
そこでふと、思い立って手を伸ばした。
「大谷君、手を貸してくれないか」
不思議そうに腕を上げる吉継の、包帯に巻かれたその手を握る。
半兵衛は夜着のために、手を守るものは何もない。
かさついた包帯が、直接手の平に触れた。
「身重ゆえ、賢人殿では、われは担げぬぞ」
吉継は一人では立ち上がることはできない。
ゆえに立ち上がる時は誰か、大抵の場合は三成がそれを手伝っている。
半兵衛には吉継を抱え上げるだけの力はない。そもそも立たせようなどとは思っていないが。
「わかっているよ。そういうことじゃないんだ。うん、もういいよ」
手を離す。
吉継はなおも不思議そうに、半兵衛を見上げていた。
「賢人よ、迂愚なわれにお教え願おう」
「大したことじゃないんだ。気にする必要はないよ」
本当に、大したことじゃない。
こんなことをしたって感染らないじゃないか、と半兵衛自身が納得したかっただけだ。
その真意を、吉継が知る由もない。

「失礼致します。半兵衛様、夜分どちらへ」
大谷の部屋から戻る途中、若い兵に声をかけられた。
彼は誰だっただろう。
半兵衛の身を案じてはいるけれど、当の半兵衛は、三成と吉継以外は碌に覚えていなかった。
「大谷君のところだよ。自分で行かなければ、誰も行ってくれないからね」
「それは……しかし、お体に障ります。感染するやも」
「しないよ。僕に異状はないだろう?」
一瞬だけ言い澱んだものの、謝罪の言葉は口にはしない。
悪いことだと思っていないのだ。吉継を疎んじることを。
兵は僅かに顔を伏せた。
「お言葉ですが、半兵衛様の不調を聞いた兵がおります。感染って、どこぞ病まれているのではと」
目の前の顎に指先をかけて、俯きがちな顔を無遠慮に掬い上げる。
挑発のように、睨むように見上げる。
月下佳人、その様相に、不覚にもどきりと肩が跳ねた。
「なら、僕にも近寄らない方がいいね。君にも感染るかもしれないから」
同じように乱暴に指先を離して、背を向ける。
何が感染るだ、くだらない。
苛立つ気持ちに気が付いて、らしくもないなと頭を振った。

Category: