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悔しいのは 5題

1.あなたが侮られること

「……こりゃまた、随分と」
これから奇襲をかけようとしている敵軍を見て、思わず左近の口からそんな言葉が漏れた。
豊臣が奇襲をかけてくるかもしれない、という話は薄ぼんやり伝わっているはずだ。
左近本人が噂を流したのだから。
にも関わらず、あの人数にあの装備。
噂は噂だと処理されたか、来たとしても切り抜けられると判断されたか。
「舐められたもんだねえ」
左近はにやりと口端を上げた。
だが、目は少しも笑っていない。
この奇襲は、豊臣軍の軍師である竹中半兵衛のものではなく、その下にいる大谷吉継のものだった。
左近は豊臣家臣の一人である石田三成に傾倒しており、吉継は三成の古い友人である。
三成も左近も頭の回転が早い方ではあるが、吉継には遠く及ばない。
此度の作戦も、三成と左近には口の出しようもない程完璧な算段だった。
尤も、吉継の言うことに対して「疑う余地などない」が三成の口癖ではあったが。
しかし蓋を開けてみれば、敵はこの余裕。
奇襲をかけてくるのが左近だから、とこの対応ならまだ良い。
吉継の策など恐るるに足らんと思われているなら我慢ならない。
「さて、どっちかな、っと」
左近は両腰の鞘からそれぞれ刀を抜いた。
それを見た他の兵たちも、次々に武器を構える。
「左近隊、吶喊!」
兵たちは大声を上げ、敵軍へ雪崩れ込んだ。
奇襲だ、豊臣か、恐れるな、という声が上がる。
豊臣の尖兵如き、大した力もない、と敵将が言った。
ああ、やっぱりそういうことかよ、と左近は小さく舌打ちして、真っ直ぐに敵将に向かって行った。
その間に立ち塞がる何人かを時には斬り捨て、時には蹴り飛ばす。
舐められているのは確かに左近ではあったが、左近の力を信用して策を立てた吉継を舐めることにもなる。
結局は、吉継は侮られていたのだ。
「悪いね、そちらさん」
左近は敵将を馬から振り落とすと、喉元に刀を突き付けた。
「斬り込み隊長を舐めきった時点であんたの負け」

「たっだいまー、刑部さん!」
「やれ、騒がしいのが戻りやった」
吉継は文机から顔を上げ、今しがた戻ったばかりの左近を見つめた。
防具や顔に血がついてはいるが、怪我をした様子はない。
恐らく返り血だろう。
「左近、顔ぐらい洗ってから来やれ。斯様に血の匂いがしては、われの療養にも響く故」
「あっ、すんません。けど、いち早くご報告したくって」
左近は服の袖で顔を拭う。
乾ききっていなかったらしい血が頬にまで伸びた。
「予定より早いが、無事果たしたか」
「もっちろんっすよ! ちっとやりすぎちゃいましたけど!」
吉継はほうと呟き、僅かに目を見開いた。
左近がやりすぎるのはいつものことだが、自らやりすぎたなどと言うのは初めてだった。
自覚があるくらいだから、余程派手にやりすぎたのだろう、と吉継は思った。
「やりすぎた、か。なにゆえ」
「だってあいつら、刑部さんのこと舐めきってたんすよ! こんな策、って!」
それを聞いて、吉継はまた少し目を見開いた。
吉継を愚弄することで激昂する、そのような変わり者はたった一人だと思っていたが、案外そうでもないらしい。
「左近」
「はい!」
「ぬしはおもしろき男よな。いや褒めておるのよ」

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