彼はダイヤモンド
休日に街を歩いていたら突然現れたワンダラーに出くわし、男性が襲われていたところをなんとか助けた。
それ自体は大したことではない。よくあることでもないが、特別珍しいほどでもなかった。
助けたその男性は自らを宝石商だと名乗り、アタッシュケースを開けていくつかの宝石を見せてくれた。
男性はしきりに私に感謝し、お礼としてどれでもひとつ持っていっていい、と言ったが、そういったものは受け取れない。
今日が休日で、今が任務外だとしても、ハンターとして受け取るわけにはいかないのだ。
その宝石が盗品じゃないという保証もないし、宝石を渡したことを理由に優先的に救助してくれとも言われかねない。
お気持ちだけ、と何度も丁重に断り、男性もようやく納得して立ち去ってくれたはずだった。
それなのに、帰宅してジャケットを脱いだら、ポケットから小さな石が零れ落ちた。
まさか、ともう一度ポケットを探ると、男性の名刺が入っている。
いつの間に入れられたのだろうか、と呆れながらも拾い上げ、名刺の店名をスマホで調べてみる。
あの男性は本当に宝石商だった。店のウェブサイトもあるし、オーナーとして彼の顔も載っている。
ならば零れ落ちたこれも、ただの石ころのように見えるが、何かの原石なのだろうか。
カメラで撮って画像検索にかけてみれば、ダイヤモンドの原石である可能性が高い、と結果が出てきた。
ダイヤモンドとはいえ大きさは数ミリほどしかない。研磨したらもっと小さくなってしまう。
色味も無色とはいかず、グラファイトも混じっているのか、中は少し黒くなっていた。
宝石としての価値はないに等しいだろう。もっと綺麗に黒く染まっていれば価値も高かったかもしれない。
だからこそ、こっそり押し付けられたのか。
これが任務中に受け取った謝礼だったなら、協会への寄付というかたちで協会の資金にするが、今日は休日で、私は善意で人助けをしただけという扱いだ。
それに寄付だったとしても、換金したところで二束三文にもならないだろう。
盗品でもなさそうだし、ならば甘んじて受け取っておくことにした。
『ダイヤモンド』で調べたままの画面を雑にスクロールして、情報をなんとなく目に入れていく。
これが圧縮された炭素であることは調べるまでもなく知っている。
色、透明度、カット、重さでランク付けがされていることも。
更に記事を読み進めて、石言葉なんていうのもあるんだ、と興味を引かれる。
花やカクテルに意味があるように、石にも贈り物としての意味がある。
ダイヤモンドの石言葉は、そこまで見たところで、更に興味を引かれるものがあり、次の項目まで目が進んでしまう。
『四月の誕生石』
それを見て、シンの顔が浮かんできた。
これをアクセサリーにして、シンに贈ってみようか。
誕生日でもなければ、ダイヤモンドを贈るような時期でもないけれど、シンは受け取ってくれるだろうか。
でもシンは宝石もアクセサリーもたくさん持っているだろうし、それこそダイヤモンドなんて飽きるほど見ただろう。
それに宝石にするとして、研磨と加工はどこに頼めばやってもらえるのかわからない。そういったことに詳しそうなのもシンだ。
シンに贈るアクセサリーを、どこで作ったらいいか、とシンに聞くなんてことはできない。
考えながら、テーブルに置いたままの原石を指先で転がした。
調べていくと、原石のまま透明なロケットに入れ、そのままネックレスにする、という案もある、と出てきた。
これなら手作りできそうだ。一点ものといえば一点ものだし、少しは格好もつくだろう。
そうと決まればやることはひとつだ。
次の休みの日にデパートでチェーンと円柱型のロケット、ついでにラッピング用の小物も買った。
ロケットを開け、小さな原石を収める。ダイヤモンドだから中で原石が動き回っても欠けたり割れたりすることはないだろうけど、一応その可能性も考慮して小さめのものを買ったが、大きさはぴったりだ。
ロケットに長めにチェーンを通して留め具を付ければ、手作り感満載のネックレスになった。
こんなもの、やはり子供っぽいだろうか、とは思ったが、それでも丁寧にラッピングして、数日後にシンと会う約束を取り付けた。
ポケットにネックレスを忍ばせて基地を訪れ、我が物顔で歩き回る。
「シンー」
意気揚々と部屋を覗くと、シンの手にはダイヤモンドがあった。
巨大、とまでは言い難いけれど、立派なものだ。
私が持っている原石の倍はあるだろう。
「それ、どうしたの?」
自然と落ち着いてしまった声のトーンを気取られないよう、シンの隣に静かに座る。
「オークションでなかなか質の良いものが手に入った」
シンは角度を変えながら、そのダイヤを観察した。
どこから見ても無色透明、不純物もなく中まで透き通ったダイヤモンド。
腕のいい職人が手掛けたのか、薄暗い光ですら反射して光り輝くよう、綺麗にカットされている。
カットされてこの大きさなのだから、元々は更に大きかっただろう。
それを見たら、ポケットの中のプレゼントなんてとても渡せない。
ポケットの中のものはこのまま持ち帰ることにして、指先でくしゃりと丸めた。
けれどその瞬間、シンはゆっくりと瞬きをしながら、こちらに意識を向けてきた。
ダイヤモンドをテーブルに置き、私の顔を覗き込んでくる。
「何を持ってきたんだ?」
その目線がちらりとポケットに注がれる。
これ以上見られてしまわないように、隠すように身を捩った。
「別に、何も」
目の前にシンの手が差し出される。
寄越せ、とでも言うように手の平は上を向いていた。
「無理やり暴かれるか、自分から差し出すか、どっちがいい?」
バレているのならこれ以上隠しても無駄だ。
ポケットから、少しよれたラッピングを取り出した。
シンの目が期待で僅かに開かれる。
「これは?」
私の手からラッピングを受け取ろうとしたその手を避ける。
「私のだよ」
この間助けた人が、お礼にと原石をくれたから、それをアクセサリーにしてみた、我ながら出来がいいから自慢しにきた、と淀みなく告げた。
途端に、シンは不満そうに吐息を零した。
「自分用なのに、わざわざラッピングしたのか?」
「……そうだけど?」
苦しい言い訳かもしれないとは思っている。
でも、シンは宝石なんて見慣れているだろうし、今更こんな原石をもらったって嬉しくもないだろう。
それでも未練がましくラッピングを開けられずに握り締めていると、シンの手が横からそれを奪った。
「ちょっと!」
シンはあっさり包装を解き、中のネックレスを手に取る。
目の高さまでトップを持ち上げて、ロケットの中の原石をじっくり観察した。
「ダイヤの原石か。確かに手作り感満載のアクセサリーだな。それにこのラッピングも」
「そうでしょ? 見たなら返して」
奪い返そうとするが、今度はシンが私の手を避ける。
ネックレスは私の指先を掠めて、高く掲げられてしまった。
「お前のものにしては、チェーンが長いようだが?」
「……いいでしょ、別に」
もう言い訳も浮かばない。
いいから返して、と手の平を差し出してみるが、シンは返してくれるどころかチェーンの留め具を外して、自分の首に回して着ける。
手作りのネックレスは、シンの胸元で揺れた。
「どうだ?」
「似合わないよ」
「だが、俺はこれが気に入ったぜ」
「……渡せないよ。原石の質だってよくないだろうし、チェーンは真鍮だし、こんな子供みたいな手作りのアクセサリーなんて」
まだうじうじと言い訳を並べていると、後頭部を引き寄せられ、額に軽く唇が触れる。
それだけで私を黙らせるには充分だった。
「さっきのダイヤより余程価値がある」
シンは愛おしそうにロケットを撫でる。
その指先に、贈ってよかった、と思ってしまいそうになる。
「手を出せ」
「なんで?」
言いながら左手を差し出すと、薬指に先程のダイヤモンドが宛てがわれた。
それは私の指には大きかったようで、シンは小さく唸る。
「指輪にはならないな」
「指輪って……」
「ネックレスの礼に、これを指輪にしてやろうと思ったんだ」
こんなネックレスのお礼がダイヤモンドの指輪だなんて、あまりにも釣り合わなすぎる。
それに質の良いダイヤモンドだとシンは言っていた。
そんな大事なものを私に、だなんて、とても受け取れない。
「いいダイヤなんでしょ。私にはもったいないよ」
「いいダイヤだから、お前に贈りたいんだ。指輪でなければ何がいい?」
シンはもうその方向で使い道を決めてしまったようだ。
なら、我儘を言ってもいいのだろうか。
今度は私が胸元のロケットを指でなぞった。
「ネックレスがいい。ジュエリーデザイナーに頼むんじゃなくて、私と同じように、あなたが手作りしてほしい」
子供みたいな申し出にシンは軽く笑い、胸をなぞっていた私の手を捕まえる。
握っていた指を広げられ、そのまま絡ませた。
「承った」
再び後頭部を引き寄せられて顔が近付く。
今度は唇同士が触れ合った。
それからたった数日後、シンに呼び出されて再び基地を訪れた。
私を呼び出す理由なんて今はひとつしかない。
期待しながら隣に座ると、シンは早速ネックレスを取り出した。
「約束通り、ペンダントトップ以外は全く同じものにした」
どこで調べたのか、チェーンも留め具も全く同じだ。
わざわざ庶民のデパートに行って買ったのだろうか。
安いチェーンに似合わず、ペンダントトップだけが確かな輝きを放っている。
「本当に作ってくれたんだ……」
「そう言ったからな」
シンは留め具を外して、私の首にチェーンをかけ、後ろで留め具を嵌め直す。
離れていく瞬間に、僅かに耳を掠めた指がくすぐったい。
薬指には大きかったダイヤモンドは、ネックレス用の台座に収まり、胸元ではちょうどいい大きさとなって揺れる。
全く同じ、とシンは言ったが、チェーンの長さはさすがに変えたようだ。
長すぎず、短すぎず、私にちょうどいい長さだった。
胸元のダイヤモンドを指で撫でていると、シンに顎を掬われた。
親指がそっと私の唇をなぞる。
「気に入ったか?」
「うん、すごく」
ダイヤモンドは傷付かない。何ものにも屈しない。
まるでシンそのものだ。
身に着けていると、心臓の真上にシンがいるようで心強い。
「ダイヤの石言葉を知ってるか?」
「石言葉? 確か……」
調べたはずだった。けれど四月の誕生石ということに気を取られて、その記事は読み飛ばしてしまった。
確かに一度は目に入ったはずだ。何だったか。
必死に記憶を手繰り寄せて、ようやく思いついた言葉を紡ぐ。
「永遠、だったっけ?」
「ああ」
シンは自分の首にかかっているネックレスを手に取り、ロケットに唇を寄せた。
「ダイヤのアクセサリーを贈るのは、永遠の愛を贈る、という意味がある」
だからこそ婚約に選ばれるのだろう。
それに、私が彼にダイヤモンドを贈りたいと思った理由だってそこにある。
そのシンに至近距離で見つめられ、心臓が跳ねそうになる。
「俺と永遠を誓ってくれるか?」
いつものように冗談めいた様子もなく、茶化すような顔でもない。
真剣な表情と声色で、彼は将来を誓おうとする。
こんなやり取りを何度もした気がする。
そのたびにこうして誓ってきたけれど、何度誓いを交わしてもまだ足りない。
「……はい」
噛み締めるように返事をしたが、その言葉がちゃんと彼に届いたのかはわからない。
返事をするのと同時に、唇を塞がれたのだから。