幸運な男
※存在感のあるモブが出ます
「いつ空いてる?」
突然電話がかかってきたと思ったら藪から棒にそう聞かれ、思わず怪訝な声で聞き返してしまう。
どうやらシンはとあるカジノに用事があり、どうせなら私も連れて行こう、と思い立ったらしい。
思い立つのは勝手だが、せめて連れて行こうと決める前に可否は聞いてほしいものだ。
「お前はカジノの類には行ったことがないだろうと思ってな」
「カジノって違法なやつじゃないよね? 危なくない?」
「カジノはどれも違法だし、どれも危ないぜ」
「なら行かない」
そもそもこの国の法律では、カジノは全て違法だ。
精々公営ギャンブルがいくつかあったり、数字を選ぶタイプのくじがある程度だが、そんなものはシンに言わせたら結果がわかりきっていてつまらないらしい。
「知ってる? 善良な臨空市民は、カジノには行かないものなんだよ」
突っぱねると、電話口でシンは小さく笑った。
「それは知らなかったな。なにせ、カジノには臨空のやつらも来るんでな」
善良でない市民はそうだろう。
興味本位でカジノへ行って、身ぐるみ剥がされて帰ってくるのだ。
言い澱んでいると、シンは続けた。
「命をチップにするような賭場かと聞かれれば、答えはNOだ。違法カジノの中じゃクリーンな部類だな」
違法なのにクリーンという矛盾に頭を抱えながら、気が向いたら、と曖昧に返事をする。
が、その返事はシンにとっては『YES』だったらしい。
数日後には半ば攫うように迎えに来て、基地で着せ替え人形にされる。
髪をセットされて、ドレスを用意されて、またしてもいつぞやの『お嬢様』に仕立て上げられた。
「なんでわざわざこの格好……」
「カジノには金と暇を持て余した奴しかいない。普段着で行ったんじゃ、そういった客や、胴元のカモだぜ」
むしろこのドレスが普段着ですとでも言いたげに堂々としてろ、とアドバイスを受けながら、差し出された腕に手を絡める。
シンは入口でカードを差し出し、受け取ったボーイが決済処理をしていく。
「ひとまず1000万でいい」
『でいい』とはとても思えない額をチップに変換すると、持ちきれないほど大量のチップが用意された。
シンは何食わぬ顔で私をエスコートしながら歩き出し、私達の後ろをチップをカートに乗せたボーイがついてきた。
あらためて見ると、雑然としているのに整然としている、不思議な空間が広がっていた。
人々は思い思いにゲームを楽しみ、チップを賭け、ある者は失い、ある者は得て、一喜一憂している。
止めどなく浴びせられる光と音の奔流に目眩がしそうだった。
シンはそんな私の様子を見下ろし、小さく鼻を鳴らす。
「好きに遊んでこい」
「遊べって言われたって……」
何をしたらいいかもわからないし、何をするにしたってルールもわからない。
とりあえず一番近くにあったルーレットに近付き覗き込めば、ディーラーはそれを参加と受け取ったらしく、座るよう促された。
シンが引いてくれた椅子に腰掛け、真後ろでは立ったままのシンが私と盤面を監視する。
私が座ると、ディーラーはベルを一度鳴らした。
1から36と0が書かれた盤の上に、プレイヤーたちのチップが置かれていく。
私はボーイのチップから一枚を手に取り、赤い菱形が書かれた場所に置いた。
「それだけか?」
呆れ声のシンをよそに、ディーラーはホイールを回し、小さなボールを投げ入れた。
ボールはルーレットの回転と逆方向に勢いよく回る。
なるほど、このボールが落ちる場所を予想するのか、とようやく合点がいった。
他のプレイヤーがベットを変えたり足したりするのを見て、ボーイから追加でチップを受け取って、赤い菱形の上に重ねて置く。
「ノーモア」
ディーラーが宣言し、今度はベルを二度鳴らした。
ルーレットの縁を回っていたボールの回転は徐々に緩やかになり、やがてルーレットの中に傾いていく。
そしてボールは盤面の中に完全に落ちた。
「Black 33」
ディーラーが宣言し、黒と、ODDと、33に置かれたチップが残され、それ以外が回収される。
当然、私が赤に賭けたチップも全て回収された。
まさか1/2を外すとは思わなかった。
後ろでシンが呆れたように、けれど笑っているであろうことがわかる。
「もう一回!」
次は偶数に賭ける。
だが、選ばれた数字は奇数で、またしてもハズレだった。
その後も前半、大中小、縦一列、と賭けるがことごとく外した。
最後にダメ元で『0』に一点賭けしてみたが、当たるはずもない。
「まだやるか?」
背後からシンに尋ねられ、ぶすくれながら席を立つ。
シンの腕を引っ張りながら、次のゲームを探した。
トランプならできるかも、と思ってとあるテーブルにつく。
ディーラーの他に三人のプレイヤーが座っており、私は四人目だった。
自分の目の前の枠に適当にチップを置くと、ディーラーから2枚ずつのカードを配られる。
他のプレイヤーに倣ってカードを表にする。
スペードの5と7のカードだった。
「……シン。何をしたらいいの」
小声で聞くと、まずはやってみろ、とシンに促された。
実地で覚えろとは、意外とスパルタだ。
トランプだからと安心していたが、どう見てもババ抜きではない。
他のプレイヤーは、ヒット、ステイ、と謎の宣言をしている。
私の番になり、ディーラーに宣言を求められた。
「ヒ、ヒット……?」
差し出されたカードはダイヤのJだった。
「バストだ」
シンがそう言うと、私の前のチップが回収されていく。
そしてディーラーも彼の前に置かれたカードを捲ってこちらに見せた。
ダイヤの9とクラブの10だ。プレイヤーのうち二人はチップを回収され、一人だけが逆にチップを獲得した。
わけがわからないまま、次のゲームが始まり、またわけがわからないままにチップを賭ける。
「……シン。助けて」
再び小声で聞くと、同じく小声で、耳元で返事が聞こえる。
「21に近付ければいい。ただし越えたらバスト、つまり失格だ。絵札は全て10で数えるから気を付けろ」
ルールがわかったところで、勝てはしないのがカジノというものだ。
21を越えないよう慎重になるあまり、16というなんとも日和った数字で負けたり、逆に15に何か足そうとした時に限って絵札を引いてバストしたり、散々だった。
後で知ったことだが、ディーラーは絶対に17以上になるようにカードを引かなければならないというルールがあるらしく、日和った時点で私の負けのようだった。
結局ここでも派手にチップを散財した私は、けたたましい音を鳴らすスロットマシーンに目をやった。
「スロットなら目押しで当てられたりしないかな?」
「やってみたいなら止めないぜ」
けれど、端から見るだけでも、リールの回転は早く、とても目押しできるとは思えない。
すっかり少なくなったチップを見て、溜息を吐いた。
「私、こういうの向いてないかも」
「ああ、俺と大差ないな」
確かにシンも運の良いほうではないだろう。
ならなぜこんなところに来たのか、という最初の疑問が残る。
用事、とは何なのだろうか。
「あなた、結局なにしに来たの?」
シンの目線はカジノの奥、景品交換所に止まる。
「頃合いだな」
そう呟くと同時に、カジノのフロアが湧いた。
今夜の目玉商品が発表されたのだ。
そこにあったのは、紛れもなくコアだった。
青く輝くそれが、厳重なケースに入れられている。
「コア……! にしてもなにあの値段……!」
チップの必要枚数は果てしなく多い。
シンが一番最初に支払った額の軽く10倍はあるだろう。
「買わせる気がないとしか思えないな。あるいはそれだけ希少で高価なもの。つまり」
「エーテルコアかも……」
けれど、こちらの残りチップは少ない。
シンが追加でチップを買ってくれるなら話は別だが。
それをこっそり伝えると、シンはどこか呆れ顔になった。
「確かにあれを一括で買えるだけのチップも金で用意できるが、それじゃスマートじゃないだろ。ここはカジノだぜ」
つまり、あくまでも賭けに勝ってチップを用意するつもりらしい。
どうするのかと見守っていると、シンはとあるテーブルについた。
ポーカーの席だ。
ポーカーの名前くらいは聞いたことがあるし、なんとなくルールもわかる。
ただ、ポーカー・ハンドの強さ関係までは全部はわからないけれど。
椅子に座ったシンの後ろに立って、彼の勝負を観察させてもらうことにした。
もう一人のプレイヤーがシンを睨む。
ディーラーがそれぞれに五枚のカードを配った。
シンは余裕な態度を崩さない。
「一勝負で終わらせよう」
そう言うとシンは残りのチップを全て賭けようとした。
その様子に、相手のほうが驚いて萎縮したようだった。
「よろしいのですか?」
「ああ。こっちには幸運の女神がついてるんでな」
ディーラーの言葉に、シンはそう皮肉を返す。
さっきまでの私の勝負を見ていたら、私が幸運だとはとても思えないが、それでもシンはどこか楽しそうだった。
配られたカードはワンペアだけのなんとも微妙なハンドだった。
シンは同じスートの二枚を残し、ワンペアを含む三枚のカードをピックアップして捨てた。
「ドロー」
新たに手札に入った三枚の中に、先の二枚と同じスートが一枚だけある。
シンはその一枚を更に残して、二枚を捨てた。
「ドロー」
次の宣言で、スートは全て同じに揃った。
これだけでもフラッシュだ。充分強い。
今回の勝負で許されたドローは三回までだ。
あと一回のドローをどうするのか見守っていると、シンは一枚のカードを更に捨てた。
「ドロー」
最後の一枚を見て、シンはようやく満足げだった。
「オールイン」
シンが賭けたチップを前に、相手は眉根を寄せる。
だが、相手もドローを繰り返し、そのうち徐々に頬が緩んでいく。
私が言えた義理ではないが、表情に出やすい相手のようだ。
「コール」
なんと、相手も同額を賭けてきた。
勝算がある、ということだ。
「ショーダウン」
ディーラーの宣言とともに、同時に手札を見せる。
得意げにフルハウスを出す相手の視線を躱し、シンは片眉を上げた。
ハートのストレートフラッシュだ。
相手は苦虫を噛み潰したような顔になり、チップがシンの前に寄せられる。
「ダブルアップに挑戦しますか」
ディーラーの問いかけに、もちろん、とシンは頷いた。
ここから先はディーラーとの勝負になる。
ハイ&ローに勝ち続ければ、倍々ゲーム的にチップが増えていく。
最大数は10回。ただし負ければさっきの勝ちも全てなくなる。
カードを切り直したディーラーが、最初に出したカードはハートのQだった。
「ロー」
次に捲られたカードはQより低い。
シンの勝ちだ。
「幸先のいいスタートだな」
その後もシンは澱みなく勝ち進んでいく。
そして迎えた9回目。
あと2回で1024倍、と思わず目が眩んでしまう。
それだけのチップがあれば、あのコアを買える。
けれど、場にあるのは9というなんとも微妙な数字だ。
確率的にはローだけど、とシンを盗み見る。
「ハイ」
シンは何食わぬ顔で宣言する。
緊張する私をよそに、ディーラーが山札から捲ったのはAだった。
ハイだ、と思うと同時に、私は心の中でガッツポーズをした。
ハイ&ローにおいて、Aが一番大きい札だ。
10回目も勝ったようなものだ。
そして最後のコール。
「ハイだ」
「え!?」
シンの宣言に、思わず声を上げてしまった。
Aより大きいカードは存在しない。
たとえ次が同じAだったとしても、ディーラーとの勝負である以上、同値は問答無用でこちらの負けになる。
カードを捲る指先が嫌にスローに見える。
終わりを覚悟してそのカードをじっと見つめていると、ディーラーが捲ったカードはなんとジョーカーだった。
Aより大きいカードは存在しない、その唯一の例外。
紙面ではひょうきんな道化師が踊る。
「うそ……」
呆気にとられる私を見て、シンは得意げに鼻を鳴らす。
無事に10回目にも勝利し、まんまと1024倍のチップを手に入れた。
大量のチップを抱えて、目玉商品のコアを引き換えようと交換所へと向かう。
係員は大量のチップを見て頷くと、こちらへ、と別室へと通された。
が、薄暗い廊下を抜けて別室に入った瞬間に、複数のスタッフに囲まれた。
喜んでコアを交換してくれるような雰囲気ではない。
「不正は困りますね」
「不正だと?」
スタッフの問いかけに、低く怒気を孕んだ声でシンが反論する。
スタッフもシンのような客には慣れているらしく、怯むことはなかった。
「あなたは次の札を知っていたのでは?」
そう聞きながらシンを睨む。
要するに、イカサマだ、と言いたいのだ。
言いがかりだ。シンはこういった場でイカサマをするような人ではない。
「イカサマしたの?」
「まさか。俺は真剣勝負でズルはしない」
案の定否定する答えが返ってくるが、スタッフは聞く耳を持たなかった。
それだけシンが負けるであろうことをわかっていたというのなら、それこそ怪しいものだ。
「最後にもう1ゲームしましょう。お連れ様は楽しんでいらっしゃらないようですから」
奥に入っていったスタッフは、トレイの上に銃と弾丸を乗せて、持って出てきた。
旧式のリボルバーだ。弾は一発限り。
「ロシアンルーレットはご存じでしょう?」
スタッフがシリンダーに弾を込め、回しながらバレルに押し込む。
その銃を私に差し出した。
「本気か? 彼女に銃を撃たせるとはな」
スタッフたちに囲まれ、体を掴まれて、シンが無理やり椅子に座らされる。
意外にも、シンは反撃も抵抗もしなかった。
私は別のスタッフに手を取られ、シンの頭に銃口を突きつけさせられた。
「賭けるのは彼の命です。あなたが失敗すれば彼が死ぬ」
動揺が顔に出ていないか心配だった。
そのぐらい、心が揺らぐ。
私のせいでシンが傷付くのが怖かった。
銃を持った手が震えそうになる。
けれど、その震えを止めるように、シンは自ら銃口に額を押し付けてくる。
「俺に人質の価値があるとでも?」
彼のその言葉と、強い視線が全てだった。
安心して撃て、と言われているようだった。
その言葉に決意を固め、軽く息を吐く。
そして、いつか練習したような『お嬢様』を演じてみせた。
「毎回撃鉄を起こすのも面倒ね。ダブルアクションはないの?」
「勢い余って彼を殺してしまうかもしれませんよ」
「構わないわ。私の命じゃないもの」
スタッフは私の強気な言葉を嘲るように小さく笑う。
「ダブルアクションはありません。一発ごとの緊張感をお楽しみください」
緊張感ねえ、と興味なさげに呟きながら、椅子に座ったシンの頭にもう一度狙いを定める。
弾倉は六発分。
私は真っ直ぐシンの目を見ながら撃鉄を起こし、躊躇なく引き金を引いた。
弾が入っていないことを意味する、ガキン、という音が響く。
「さすがに、一発目は躊躇がないですね。けれど二発目からは」
そんなスタッフの言葉を気にもせず、連続で撃鉄を起こし、引き金を引き続ける。
二発目。三発目。乾いた音が続けざまに響く。
その間、私はシンの頭から銃口を離すことはなかった。
四発目の引き金を引き、五発目の撃鉄を起こして引き金を引く寸前、一瞬だけ指が止まる。
咄嗟にシンの頭から銃口を外し、彼の背後の壁に照準を合わせて引き金を引いた。
鋭い発砲音とともに、銃口から煙が上がり、壁に銃弾が埋まる。
「私の勝ちね」
「まだ一発分残っていますが?」
「装填したのは一発だけのはずでしょう? 最後の一発を撃つ必要はない」
スタッフは途端に顔色を変え、懐から銃を取り出してこちらへ銃口を向けた。
シンを押さえていたスタッフたちも立ち上がり、ナイフを手に持って臨戦態勢をとる。
襲われる、と覚悟を決め、応戦しようと身を低くしたところで、シンは素早く椅子から立ち上がると私の手からリボルバーを奪った。
守られるように抱きかかえられながら、シンは銃を持ったスタッフに向けて引き金を引く。
銃口は再び煙を上げ、足を撃たれたスタッフが呻き声を上げてうずくまる。
弾は二発分入っていた。
「イカサマじゃない!」
「不正をしてたのはそっちだったようだな」
ナイフを持って向かってくるスタッフたちを、シンはあっさりといなした。
ある者は顔面一発、ある者は腕を折られ、ある者はチョークスリーパーを決められて次々に沈んでいく。
一人だけがこちらに向かってきたが、1対1ならどうということはない。
ナイフを持った手首を掴み、肘裏を殴ってナイフを落とさせ、背後に回り込んで膝裏を踏みつけるように蹴飛ばす。
「見事だな」
「あなたほどじゃないけどね」
死屍累々、という有様のスタッフたちの間を縫って、ケースを叩き割ってコアを取り出す。
「帰るぞ。目的は果たした」
来た時と同じように差し出された腕に再び手を絡ませ、悠々とカジノを後にする。
カジノには初めて来たが、思ったほど悪くもなかった。
そう告げると、シンは楽しそうに笑った。
帰りながら、回収したコアを手にとって観察する。
共鳴を試みると、僅かな違和感があった。
所謂『普通』のコアではない。
けれど、残念ながら目当てのものでもない。
「エーテルコアじゃないね。改造はされてるけど、ただのコアみたい」
「ハズレだな」
とはいえもう少し詳しく調べる必要はあるだろう。
協会で回収させてもらおうと、自分の荷物の中にしまいこんだ。
「でも、あの1024倍は惜しかったなあ」
「あれがあったところで、コアの分を差し引けば元本とトントンだったぜ」
「そうなの?」
「誰かさんが派手に遊んでくれたおかげでな」
「……それは謝るけど」
結局強引に回収してきたコア以外、チップも換金できずにあの場に置いてきてしまった。
シンの資産を無駄にしてしまったようで申し訳なく思ったが、本人はさほど気にもしていないようだ。
すると突然、真横を歩いていた彼が、ふと足を止めた。
「五発目に弾があるとわかってたのか?」
それがあのロシアンルーレットを指しているとわかり、私は悪戯っぽく微笑む。
「まさか。勘だよ」
「大した勘だ」
本当に勘だけかと聞かれればそんなことはなく、五発目にシリンダーが回った瞬間、ほんの僅かな引っかかりがあった気がしたのだ。
気にするほどの違和感でもなく、ただの気のせいだったかもしれない。
けれどその違和感を無視してシンを撃つくらいなら、負けたほうがマシだと思った。
どうせあそこで負けても、結果的にシンは大暴れしてコアを手に入れただろうし。
リボルバーに引っかかりがあったのは、メンテナンス不足か、あるいは何か他の要因か、本当にただの気のせいだったかもしれないけれど、いずれにしても運が良かったとしか言えない。
シン本人にはなんとなくそれを言わないままでいることにした。
「シンは楽しめた? ポーカー以外なにもしなかったじゃない」
「そうだな。なら、今やるか」
言いながら、シンはポケットからコインを取り出した。
「賭けをしないか」
「コイントス? いいよ。何を賭けるの?」
「ただ勝敗が決まればそれでいい。だが、お前が勝てば、何でもひとつ言うことを聞いてやろう」
その言葉にやる気が湧き上がってきた。
動体視力には自信がある。
落ちてくるコインの裏表を見極めるくらいできるはずだ。
小気味いい音とともに、空中にコインが弾かれる。
シンが指先で弾きあげたコインを目で追い、伏せられるその瞬間まで注目し続けた。
落ちてきたコインを受け止めた右手の甲を、シンの左手が覆う。
「どっちに賭ける?」
「表だよ」
間違いない、と自信をもって言った。
シンが笑いながら手を外す。
現われたコインは裏だった。
「うそ! 絶対表だったよ!」
シンの手の甲からコインを奪い取り、すぐに裏面を確認する。
表の絵柄があるはずのもう一面には、同じように裏の絵柄があった。
騙された。両面が裏のコインだったのだ。
「なにこれ!」
「俺の勝ちだな」
「こんなの無効だよ! イカサマじゃない!」
けれどコインが宙を舞っている間は、確かに普通のコインだったはずだ。
シンの右袖を掴み、振り回して抗議する。
すると、またも小気味いい音を立てて、右の袖からコインが落ちた。
さっき凝視していたはずの、普通のコインだった。
「いつの間にすり替えたの?」
簡単なトリックだ。
左手の中に、初めから両面が裏のコインを仕込んでおく。
落ちてくるコインを受け止める瞬間に、落ちてきたコインは右手の袖の中にスライドさせ、左手に仕込んでいたコインを手の甲に伏せる。
私の目を盗んでそんなことをしていたなんて、と呆れを通り越していっそ感心した。
が、やはり勝負の結果に納得はいかない。
「真剣勝負でズルはしないんじゃなかったの? それとも、私に対しては真剣じゃないの?」
「真剣に決まってるだろ。他のどんな物事よりもな。だから、絶対に負けたくなかった」
「じゃあなんでズルなんて」
「お前のことはいつも真剣だが、これはただの遊びだろ」
屁理屈だ。
確かに金も何も賭けていないし、遊びだと言われてしまえばそれまでだけど。
それ以上反論する気にならなかったのは、シンは私に対しては本当にいつも真剣でいることを知っているからだ。
反論の代わりに、小さく息を吐く。
「……それで、イカサマをするほどあなたが負けたくなかった理由は何?」
そこまでして欲しいものって、と更に聞こうとする前に、何も言わずに穏やかに微笑むシンに腰を引き寄せられて、抱き締められる。
なにその顔、と抗議する間もからかう間もなく、額に軽いキスが降ってきた。