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妖精の鍵

確か、コウの家に引き取られて間もない頃だった。
その頃の俺は、コウの家に引き取られたばかりで、何かあっては家を抜け出していた。
コウのことも、今の父さんと母さんのことも、元々知っている人だったとはいえ、いきなり『家族』だなんて思えなかった。
近所に住んでいた彼女は、その時には既にコウとは知り合いで、よく一緒に遊んでいたようだった。
俺はその輪にも入れなくて、一人でどこかへ遊びに行くことが多かった。
ある時、抜け出した先で見つけた教会は、それ以降すっかり俺の遊び場になった。
鍵の開かない小さな教会と、僅かばかりの花が咲く小さな庭。
教会の裏にあるステンドグラスが、子供心に綺麗だなと思っていた。
俺はその小さな場所で、走りまわったり、花を摘んでみたり、ずっとステンドグラスを眺めたりして過ごしていた。
いつものように煉瓦が崩れた場所から教会の敷地に忍び込んだある日のこと。
そこには珍しく先客がいた。
「……誰だ?」
今思えば、彼は中学生くらいだっただろうけど、その時の俺には十分に大人に見えた。
怒られる、とは思ったが、ステンドグラスから抜け出したみたいな色の薄い髪を見て、なんとなく安心した。
ステンドグラスで見た王子様なら、優しいに違いないと思ったんだろう。
「よく来るのか?」
「……うん」
彼が教会の前の階段に座ったのを見て、俺もなんとなくその隣に座った。
日本人離れした青い目を、今でも覚えている。
「何しに来たんだ?」
「遊びにきた。コウとあの子は、ふたりがいいって。ぼくがいちゃいけないから」
「そう言われたのか?」
言われてない。俺は握りこぶしをつくって、膝の上に置いた。
俺がそう思っているだけだ。二人には、何も言われてない。
「おにいさんは、なにしにきたの?」
バツが悪くなってそう聞くと、彼は目の前の小さな庭を指差した。
俺が摘んでしまって、すっかり数が減ってしまったピンク色の花がある。
「花の世話」
そこでやっと、自分が何かまずいことをしたと思った。
「おにいさんの花? ごめんなさい、ぼく……」
「いや、いいんだ」
青い目が悲しそうに揺れて、彼は首を小さく横に振った。
「もう、きっと会えないから」
「あえない?」
「だから、花はもういい」
彼は立ち上がると、目の前に咲いていた小さな花をひとつ摘んで、また座った。
そして、その花を手渡される。
「この花は、妖精の鍵なんだ」
「ようせいのかぎ?」
それを受け取って、改めてまじまじと眺めてみる。
俺が知っている鍵とは、随分違う形だった。
「一つだけ望みを叶えてくれる妖精の鍵」
「ぼくも?」
「何が望みなんだ?」
俺の望みは、いつだって決まっている。
父さんと母さんに会いたい。
新しい父さんと母さんじゃない、本当の父さんと母さんに。
「それは……」
そう言うと彼は少し口ごもったが、やがて決心したように言った。
「いつか、きっと。心に思い描く人のところに連れていってくれる」

子供というのは単純なもので、その言葉で前向きになった俺は、その日の夕食で父さんと母さんとコウにその話をしてみたり、
コウも彼女も連れてみんな一緒にあの教会に行ってみたりした。
その花の時期は短いらしく、みんなで行った時にはその花はどこにも咲いていなくて、俺がもらった花もすぐにしおれてしまった。
また来年咲く、なんて思っていたけど、彼はその日以来世話をしに来ていないようで、次の年、花はなかなか咲かなかった。
俺は自分のためにも、彼のためにも、どうにかその花を見つけたかった。
そんなある日のかくれんぼの途中。
彼女を連れて、鬼のコウから隠れようとしている時だった。
「わあ! かわいいお花」
その言葉に振り向くと、そこにはたったひとつだけ、その花が咲いていた。
「こんなところに、咲いてたんだ……」
その花を摘んでみると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「この花はね、妖精の鍵だよ。心に思い描く人のところに、きっと連れてってくれるんだ」

それから、何年も後。
俺たちは紆余曲折を経て、恋人同士になって高校を卒業した。
コウともいろいろと揉めたけど、最後は俺の為に身を引いてくれて。
コウだって彼女が大好きなくせに、カッコつけだから。
彼女と恋人同士になるよりも、俺たち二人の兄貴でいることのほうが、コウには居心地がいいみたいだ。
卒業式が終わって、実家に戻る少し前。
そろそろサクラソウの季節も終わろうかという頃、俺の怪我も治りかけて、まだ少し引き摺ってはいるけど、松葉杖なしで歩けるようになった。
俺はその足で一人、あの教会へ行った。
すると、そこには先客。
コウが育てたたくさんのサクラソウの中で、嬉しそうに笑う2人。
恋人同士だろうか。
俺は、たぶんその彼氏のほうに見覚えがあった。
有名人だから、というのもあったが。
「あの」
声をかけると、二人が同時に振り返る。
やっぱり。あの青い瞳には見覚えがある。
隣にいる女性は、少しばかり彼女に似ていて、きっと数年後にはこんな感じだろうと思わせた。
「あんた、もしかしてあの時の……」
そこまで言うと彼も合点がいったらしく、ああ、と呟いた。
「驚いた。あんた、葉月珪だったんだ」
「珪くんの知り合い?」
「昔、少しな」
「そうなんだ」
そう言うと、その人は俺のほうに近付いてきた。
身長も丁度彼女と同じくらいで、恐らく無意識だろうが上目づかいに見上げる癖まで似ている。
不覚にもドキッとしてしまうが、その後ろで、少しばかり不機嫌そうな顔をする彼が見えた。
「あのね、公にはまだ内緒なんだけど、私たち今度結婚するの」
「結婚?」
「うん。それで二人の思い出の場所に来たら、サクラソウがたくさん咲いてるから、びっくりしちゃった。知ってる?『妖精の鍵』っていうの」
「知ってる。昔、葉月さんに教えてもらったから」
その人が振り返るのと同時に、俺も彼のほうを向いた。
「この人が、あんたが『心に思い描く人』?」
「ああ」
彼がその人の名前を呼ぶと、嬉しそうに彼のところへ戻っていく。
やきもち、違う、というやり取りが微笑ましく見えた。
「俺も、会えたよ。『心に思い描く人』に」
「おまえの……けど、確かおまえの親は……」
「うん。もういない。けど、気付いたんだ。俺が心に思い描いてたのは、両親じゃない。サクラソウをここまで育てたのは、俺の兄貴なんだ。兄貴が気付かせてくれた。『あの子が大事だ』って」
「そうか」
彼は薄く笑った。
その横で、恋人も幸せそうに笑う。
「大事にしろよ。その子」
「もちろん」
二人に別れを告げて教会をあとにしてから、すぐに彼女に電話をかけた。
今頃、家で夕飯の支度をしてる頃だろうか。
うちはオンボロだから、なかなか火がつかないコンロにイライラしてるかもしれない。
声が聞きたい。今すぐに。
数回のコール音のあと、やっと電話が繋がった。
「もしもし? 琉夏くん?」
俺が大好きな声が、少し忙しそうな様子でそう言った。

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