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夜明け前

※都合により前半のみ。後半は後日書きます。

 協会から遠方での長期任務の募集がかかっていた。もちろん要請されたハンターもいたが、今回その中に私の名前はなかった。期間ははっきりとはわからず、短くて数週間、長ければ半年以上はかかると予想される任務だ。それだけの期間を臨空から離れたことはないし、シンの傍から離れたこともない。その任務に立候補しようかをしばらく悩んでいた。最大で半年以上もいなくなると言ったら、シンは何て言うのだろうか。後押ししてくれるのか。引き止めるのか。それともついてくるだろうか。募集の締め切りの期限は近い。だから今日、シンにその話を相談してみたくて、N109区までバイクを走らせた。
 N109区は今日も相変わらずの天気だ。今にも降り出しそうな空に目を向けていると、突然に足元に違和感があった。少し走れば、前輪の様子がおかしいことには気が付く。端に停めて見てみれば、ガラスか釘あたりを踏んだのか、小さな穴が空いている。シンに迎えに来てもらおうか、とスマホを取り出しかけたところで、後ろから声をかけられる。
「やあ、そこのお嬢さん」
 人の良さそうな青年に話しかけられ、つい応じてしまう。
「なに?」
「暇そうだね? うちの店でちょっと飲んでかない?」
「見てわからない? バイクなんだけど」
 近付きながらも手を振って断りを入れる。あと一歩で青年の間合いに入ろうか、というところで、突然背後の店から出てきた数人の男に囲まれ、四方から腕を掴まれる。シンと知り合ってしばらく経ち、N109区を歩くことにも慣れていたと思っていた。だから油断していたのだ。ここは臨空とは違う、ということ。咄嗟のことで反応できず、そのまま押し込まれるように店内に連れ込まれかけた。寸でのところでどうにかなったのは、幸運だったからに他ならない。
 突如どこからか現れた忠実な双子が、私を取り囲む男たちを振り払ってくれた。振り払った、なんて優しいものではもちろんなく、男たちは指か鼻は折られていただろうけど。
「来い!」
「何やってんだよ、アンタ!」
 慌てて手を引かれてその場から離れる。シンのものと思われるバイクに跨る二人を追って、私もバイクを発進させた。前輪がパンクしているとはいえ、走れないほどではない。さすがに男たちも追っては来ていないようだった。
 そのまましばらく走り、基地の近くで二つのエンジン音はようやく止まった。
「ありがとう……びっくりした……」
「びっくりで済んでよかったよ、まったく」
 バイクを押しながら、ガレージに入れさせてもらう。呆れたように、苛立ったようにアキラがぼやく。続いて、こんなところで油断するな、とカゲトにも叱られた。
「……シンには言わないで」
「なんで?」
 私からの口止めの懇願に、双子は揃って首を傾げた。N109区で起きたことならシンに報告する義務がある。忠実な部下である二人なら尚更だ。けれど、どうしてもシンには知られたくなかった。
「油断してたなんて知られたくないの。ぼーっとしてた私が悪い」
「そりゃ油断してたアンタは悪いかもしれないが、それを言ったらここのヤツらはみんな『悪いヤツ』なんだ」
 それも、私とは比べ物にならないほどの。あそこに連れ込まれていたらどうなっていたか、わからないほど馬鹿じゃない。そんなことすら忘れていた自分が情けないのだ。
「ボスはきっと報復してくれるぜ。アンタが襲われたのは『ボスの女』だからだ。ボスもそう思ってるし、だから自分のものを傷付けられて黙っていられない」
「まだ傷付いてないよ」
 アキラとカゲトのおかげで、結果的には何もなかった。私のほうは怪我すらしていないのだ。
「余計なことで気を揉ませたくないし、手間を取らせたくないの」
「『余計なこと』ねえ」
「ボスはアンタに関することを『余計なこと』なんて思わないと思うけどな」
 それはわかっている。大事にされている自負はある。だからこそ、シンの『大事なもの』の中に自分があったらいけないと思った。
 きっと今後も、同じように私のほうが狙われることがあるかもしれない。私はどう見てもシンより弱そうだし、シンより御し易いだろうから、シンを潰そうとする誰かが私を狙うのは当然だ。そのせいでシンが不利益を被ったり、ともすれば傷付いたりしてほしくない。
 シンの『弱点』になりたくない。
 今日のことでそう思った私は、シンから離れようと密かに決意した。ちょうどお誂え向きに、遠方での任務がある。

 アキラとカゲトに守られるように連れ立ってガレージから出ると、基地の扉に手をかける前にシンが中から扉を開いた。
「……シン」
 図らずも不安げな声を出してしまう。シンはそれに気付いたのか、ほんの僅かに眉を上げた。
「何かあったか?」
 何も知られてはいけない。知られたくない。心配をかけてもいけない。私は努めて明るい声を絞り出した。
「何かって? 何もないよ。アキラとカゲトも迎えに来てくれたし」
「ほう?」
 大股で基地に立ち入りながら、意気揚々と腕を振り回して歩く。すぐに追いついてきたシンに、頭を軽く撫でられた。
「お前がそうしたいなら、それでいい」
 見抜かれているのかもしれない、と背中を冷や汗が伝う。襲われかけたことも、私がシンから離れようとしていることも。
「まずは何か食べるか?」
「そうだね。お腹空いちゃった」
 シンの基地にはシェフが常駐しているらしい。別荘に執事までいるくらいだし、出会ってすぐの頃はあまりにも規格外すぎて驚いたほどだ。暗点のボスでさえなかったら、上流階級のように見えただろう。豪華な食事を終え、一休みする間もなく、私は立ち上がった。
「バイクがパンクしちゃって。修理キットを貸してくれない?」
「タイヤごと交換するほうが早くないか?」
「小さい穴だから修理するよ。タイヤも買い替えたばっかりでもったいないし」
 先程バイクを置いたガレージに再び向かうと、シンも後ろからついてくる。キットならそこだ、と指さされた棚から道具を取り出し、我が物顔で取り掛かる。パンク修理は久しぶりだったから多少は手間取ったが、最後に空気を入れ直して確認してみれば、空気漏れを示す泡も起きない。なんとか穴は塞がったようだ。

 そもそもここへ来た時間が遅かったのもあって、修理を終えてシャワーを浴びた頃には夜も更けていた。これから何をしようか、とシンの部屋に潜り込み、並んでソファーに座る。シンにもたれながら、飼い猫のように頭を撫でられていた。大きな手が心地良い。
「仕事はいいの?」
「急ぎの用事はない。あったとしても片手間にできる」
 シンは片手でスマホを操作していたが、やがてそれもテーブルの上に伏せて、私のほうに集中してくれた。そして何かを思い出したように、ふと口を開く。
「そういえば、何か話があったんじゃないのか?」
 それを言われて、遠方での長期任務のことを相談しようとしていたことを、私もまた思い出した。けれど、先程のことがあったのだから、気持ちは固まった。相談せずに決めることにした。
「それはもういいよ。解決したから」
「……ならいいが」
 それでもシンは納得いかないようで、怪訝な顔をしている。もしかすると、このことも見抜かれているのだろうか。今夜はシンと過ごす最後の夜になるかもしれない。自分の気も、シンの気も逸らすように、彼の手に指を絡めた。
「まだ寝ないのか?」
「今日は眠りたくないな」
 絡めていた指は解かれ、代わりに頬に手が添えられる。目を閉じるのも間に合わずに顔が近付き、唇が触れ合った。頬にあったはずの手は首筋を撫でて、脇腹をなぞった。
 最後かもしれない、と思うと、その先はしたくない。きっと、今抱き合ったら泣いてしまうから。
 肩を押しながら唇を軽く噛んで、シンをそっと拒んだ。
「やめて、そういう気分じゃないから」
 私の言葉にシンはおとなしく体を離し、短く息を吐く。
 今の言い方、ダメだ。傷付けたかもしれない。
 慰めのつもりで触れようと手を伸ばしかけるが、むしろ逆効果かもと思うと、触れられずに手が止まった。
「ごめん、嫌とかじゃなくて……今日はずっと起きていたい」
 私は余程不安そうな顔をしていたのだろう。伸ばしかけた手を逆に取られ、手の甲に軽くキスをされた。
「こんなことで怒りもしないし、傷付きもしないから、安心しろ」
 そのまま頭を撫でられる。慰められたのは私のほうだ。シンはソファーに座り直すと、手元のリモコンを操作した。
「なら、映画でも見るか」
 天井からスクリーンが降りてきて、背後ではプロジェクターが起動する。とはいえ映画を見たい気分でもなくて、あれでもないこれでもないと雑にザッピングしながら画面を眺めていた。そのうち痺れを切らしたのか、これでいいだろ、とシンがひとつの映画を再生する。しばらく前に公開されたアニメの映画だ。
「アニメ? 珍しいね」
 二時間にも満たないほどの、長くもない映画だ。アニメだとそんなものだろう。
 友好国だったはずの二国に生まれた二人の物語。赤い髪の少女と、青い髪の少年。二人は幼い頃は仲睦まじく、姉弟のように過ごしていた。けれど、やがて二国間の情勢は悪化していき、二人は離れ離れになってしまう。少年は騎士になるために士官学校へと入学し、才覚を伸ばしていき、卒業後は騎士として叙勲を受ける。一方で少女は国内のクーデターの旗印になり、呪いとも取れるような方法で魔力を手に入れさせられ、傀儡の女帝として祀り上げられてしまう。かくして、女帝と騎士となった二人は戦場で再会する。運命に翻弄された二人、その結末は。
 死屍累々の上に一人立つかつての少年の背中を、ぼんやりと見つめていた。この物語のタイトルが『聖騎士』なのだから、結末なんて最初からわかっていた。エンディングテーマは映画の内容に似つかわしくない、明るい曲だった。
「なんだかミスマッチだね」
「最後まで見ればわかる」
 シンはこの映画の結末と、この曲の意味するところを全て知っているようだった。彼がアニメを見たことがあったとは意外だ。
 エンディングクレジットが終わると、暗かった画面が再び明るくなった。ほんの僅か、数分にも満たない映像がある。そこには木陰で寄り添う二人がいて、赤い髪の女性が本を閉じ、それを青い髪の青年が横から覗き込んでいた。全てが劇中劇だったと思わせるような、あるいはこちら側が『あったかもしれない未来』と思わせるような、明るいのにどこか切ない映像だ。
 私は今『こっち側』にいるのかもしれない。例えばどこか他の世界では、私とシンが家族のように過ごしたり、私がシンを殺すようなことがあったりするのだろうか。シンと敵対するのが本来の世界で、睦まじくいる今のほうが『あったかもしれない未来』なのではないか。そんな馬鹿げたことを考えていたら、不意に涙が零れそうになる。
「どうした?」
 シンの指が目元に触れた。心配するように、指先が目尻を撫でる。
「何が?」
「そんなに感動したか?」
 目が潤んでる、と言われ、慌てて目を閉じる。きつく閉じたおかげで、涙はどうにか引っ込んだ。
「ちょっと欠伸しただけだよ」
「ならもう寝ろ」
 窓の外に目を向ける。当たり前だが、外はまだ暗い。
 映画一本しか見ていないのだから、日付を越えて一時間と少しが過ぎたくらいだ。目をこすって、もう一度シンを見上げる。
「まだ寝たくない」
「なら、もう一本見てみるか」
 シンは映画のリストを呼び出した。往年の名作から最近のB級映画まで、様々なタイトルが並ぶ。
「見たい映画はあるか?」
「恋の話がいいな。どこにでもいる二人の、ありふれた恋の映画」
「珍しいな」
 ならこれにしよう、とシンは白黒の映画を再生した。
 100年近く昔の映画だ。小国の王女が訪問先の大使館を抜け出し、街を彷徨っていたところを新聞記者の男に拾われる。王女は身分を隠したまま、記者とともに市内を回り、自由を満喫する。記者のほうも彼女の正体に薄々気付きつつも、それをスクープすることはない。ただの男と女として、束の間の休日に興じていく。けれど王女は自分のことがニュースになっていることを知り、結局は国へ戻って責務を果たすことを決意した。そして二人は『王女』と『記者』として、会見の場で他人として出会う。これまで訪れた街で最も気に入った場所はどこか、という質問に、どの街も素晴らしく、という王女らしい答えを振り切って、男と過ごした街の名を挙げるのだ。
 名作だと理解はしつつも、またも報われない話に、隣にいるシンをつついた。
「王子様とお姫様が出会って、結ばれて、ハッピーエンド、なんてつまらないだろ」
 彼はこういう人だった。いつか話してくれた竜の話も、どこかほろ苦かったように思う。あるいは私が何か考えている、とやはりわかっていて、だからこの映画をチョイスしたのかもしれない。
 夜明けが近付いてくる。あと一時間もすれば、空は白んでくるだろう。私はソファーから立ち上がると、軽く伸びをした。
「そろそろ帰るよ」
「こんな時間にか? せめて朝日が昇るまでは眠っていけ」
 ありがたい申し出ではあるけれど、そっと首を振った。これ以上ここにいたら、離れがたくなってしまう。
「朝の街を走るのも悪くないでしょ」
 シンはどこか呆れたように溜息をつきながらも、私の隣に立ち上がり、手を取って歩いてくれる。向かった先はガレージだ。私がヘルメットを被りバイクを押す傍らで、シンも同じようにヘルメットとバイクの準備を始めた。
「送っていく」
「どうやって?」
「後ろからついていく。『暗点のシン』を後ろに控えさせておけば、N109区内で手出ししてくるやつはいないぜ」
 それはそうだろう、と納得すると同時に、シンが後ろにいてくれるなら心強い。バイクに跨ってキックペダルを踏み込むと、二台分の低いエンジン音が響き渡る。
「短いツーリングの始まりだね」
 ヘルメットに取り付けたインカムから、ふっと笑う声が聞こえた。
「出発だ」
 左手でクラッチを握りながら右手でスロットルを回し、バイクを発進させた。
 N109区を抜け、誰もいない街を連れ立って走っていく。会話らしい会話もなく、ただ時折シンの鼻歌が聞こえてくる。道路に人はいないけれど、私は常識的な速度で走っていた。そうでなくても、私のバイクは270ccで、対してシンのバイクは1000ccを越えている。シンは物足りないだろうと思っていたけれど、案外そうでもないようだ。それを指摘すればきっと、私がいるからだ、と言ってくれるのだろう。
 空が白み始めた頃、私のマンションが見えてくる。短いツーリングは終わりを告げようとしていた。駐輪場にバイクを停めてヘルメットを外すと、シンもマンションの前に駐車してヘルメットを脱いでいた。ここでお別れかと思っていたが、部屋の前まで送ってくれるようだ。エレベーターで五階へ上がりながら、シンがぽつりと呟く。
「明日から少し留守にする」
 一瞬、私の胸の内を言い当てられたのかと思ってどきりとする。平静を装って、どうにか言葉を返した。
「そうなんだ。どのくらい?」
「一週間はかからないだろう」
「じゃあ、しばらく会えないね」
 私の言葉に、シンは片眉を僅かに上げる。その顔はどこかいたずらっぽく笑っていた。
「『少し』と言ったのに、会えないとなると『しばらく』と思ってくれるのか」
 そう言われると恥ずかしい。忘れて、と顔を逸らした。
「連絡は……できそうならする」
「わかった。待ってるね」
 我ながらひどい嘘だ。
 エレベーターの扉が開き、二つ目のドアのロックを解除し、半身だけを滑り込ませる。それじゃあ、と顔を上げたところで、私の体は長い腕に絡め取られた。その腕は背中まで回され、強く抱き締められる。二度と離すまいとする抱擁に、涙が零れそうになる。
 シンはきっと知っているのだ。私が彼から離れようとしていることを。あるいは単純に、会えなくなるから充電したいだけなのだろうか。
 抱き締め返そうと腕を持ち上げて、そのまま宙を彷徨った。結局シンの背に腕を回すことはできず、必死で涙を堪えながら、シンの体を押し返して引き離した。
「どうしたの、突然」
「いや」
 その顔はやはり曇っている。何か言いたげなのに、何も言おうとはしない。それは私も同じだ。下手くそな笑顔を作って、彼を見上げた。
「ばいばい」
 おやすみ、またね、と言えなかった。
 そのまま逃げるように家の中に入り、ドアを閉める。ドアを挟んでしばらく無音が流れた。やがてシンがゆっくり立ち去る足音が聞こえたのを確認して、ドアにロックをかける。その場に崩れ落ちながら、スマホを取り出しメッセージアプリを開く。シンのプロフィール画面を開き『ブロック』の項目をタップした。『ブロックしますか?』という無機質な文字が浮かぶ。『はい』を押せばいいだけなのに、指が動かない。さよならしたくない、とまだ頭のどこかで思っていた。
 ダメだ。シンの迷惑になるわけにはいかないのだから。元々彼と私は違う世界の住人なんだ。相容れない存在。『何もなかった二人』に戻るだけ。
 意を決して『はい』を押す。その直前、シンから何かメッセージが届いたような気がしたけれど、それを見ることはなかった。

 その翌日、件の遠方での長期任務の募集は締め切られた。充分な数が集まったから、すぐにでも出発するという。タイミングは今しかない。きっとシンは協会のデータベースも見張っているだろうから、事前に立候補してリストに名前が載るのは避けられた。
 出発の直前になって、ミナミリーダーに参加を表明する。リーダーは驚きはしたものの、私の実力ならば、とメンバーに組み込んでくれた。ただ、直前だからやはりデータベースに名前は載らないが、きちんと共有しておく、と約束してくれた。
 シンをブロックしたスマホは家に置いたまま、新たなスマホを買って、新たなアカウントを取得して、遠方へと発った。
 これで、本当にお別れだ。

 いつだったか、シンが言っていた。シンは痕跡を残さないのだと。きっとN109区を離れる日が来たら、その痕跡も全て消すだろうと。その時が来たら、きっと『シン』という人間の痕跡は全て消されてしまうのだろうと思っていた。私の人生にシンがいたことも、シンの人生に私がいたことも、全て。
 それが早まっただけのこと。全て、と言える自信はないけれど、シンの近くから私の痕跡はできる限り消したつもりだ。
 シンが忘れてくれさえすれば、きっともう二度と会うことはない。

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