医師
花浦区夕照通りにて爆発事故が発生、被害状況を確認中。
そんなニュースの見出しが目に飛び込んできて、にわかに信じがたい気持ちになった。
同時に、今まさにそこにいるであろう彼女の身を案じた。
確かこの週末は、祖母と兄と三人で過ごすのだと言った。
祖母もまた自分の受け持ち患者であったため、どうかよろしく、と言って見送ったばかりだった。
『花浦区で事故があったようだが』
そんなメッセージを送ろうとして、辞めた。
送ってしまったら、無事でないことを肯定してしまうようで。
きっと大丈夫だ。すぐに彼女から、何でもなかったと連絡が入るはずだ。
そんな淡い期待は、ものの一時間もせずに打ち破られる。
「レイ先生、救急です。対応をお願いできますか」
慌ただしくやってきた看護師が、一冊のカルテを差し出した。
「20代女性、打撲と軽度の熱傷です」
「打撲と熱傷ならば、何故私のところへ?」
「大きな外傷は見られませんが、頭を打ったのか、意識がありません。それに、レイ先生の受け持ちの患者さんでもありますから……」
差し出されたカルテを受け取って、一番上に書かれた名前を確認する。
今、一番見たくない名前だった。
「……彼女は今どこに」
看護師が目線を送った先を見れば、今まさにストレッチャーで運ばれていく彼女の姿があった。
彼女に駆け寄ると、きつく目を閉じた、痛ましい姿がそこにはあった。
呼吸はある。先の報告にあったように、大きな外傷はないように見えた。
「全身CTの用意を」
看護師に指示を出し、検査技師に引き渡す。
CTを撮る約10分の間に、白衣を脱ぎ、抗菌のガウンとキャップを纏う。
スキャンが終わればすぐに外傷を診る必要がある。
予定通りにCT検査が終わり、彼女はそのままICUへ運ばれた。
「すぐに診る」
彼女に続いてICUに立ち入る。
診ると言ってもそこまで治療が必要なものはない。
爆発で飛散したものが当たったであろう打撲と擦過傷、爆風による熱傷はいずれも軽傷だ。
消毒を行い、念のため擦過傷にはテープを巻く。
次に頭を慎重に触ってみる。
こちらも出血はなく、打撲が一つあるだけだ。
だが未だ意識が戻らないことだけが懸念だった。
「……聞こえるか」
名前を呼び、軽く肩を叩いてみると、彼女は小さく唸りながら薄く目を開いた。
意識は問題なさそうだ。
あとはCTの結果さえ問題なければ退院はしても問題ないだろう。
しかし、念には念を入れる必要がある。
ましてや心臓に異常がある彼女なら尚更だ。
およそ3ヶ月の入院指示を出して、病室に運ばれていく彼女を見送った。
翌朝、彼女の病室を訪ねた。
彼女はまだ眠っていた。
床頭台にはペンダントが置かれている。
昨日、彼女が握って離さなかったもので、彼女の兄に送ったと言っていたものだった。
成人男性に送るにはいささか可愛らしいデザインだが、彼女は自分の好みのデザインを兄に送ったのだろう。
その兄もまた、愛する妹からの贈り物だからと、それを身に着けていたに違いない。
昔、彼女と、その兄に出会った頃のことだ。
裂空災変が起きた直後のことで、街にはワンダラーが蔓延っていた。
彼女は深空トンネルの影響で心臓に異常を抱え、病院に入院してきた。
その頃病院は避難所も兼ねていたため、兄と祖母も一緒に避難してきた。
そこで初めて、彼らに出会った。
その時、彼女の兄に、彼女の心臓の話を聞いた。
兄は、いつか深空トンネルの向こうで彼女の心臓を治す方法を見つけてくる、と決意していた。
ならば自分は医者になって彼女の心臓を治す方法を見つけよう、と決意した。
それを聞いて、兄は強く頷いた。
「絶対に、オレたちでこいつを守ってやるんだ。オレたちの大切な『妹』を」
昨日、彼女の処置を終えたあとのニュースを思い出す。
『花浦区夕照通りの爆発事故で、二人が死亡』
ここへ運ばれてきたのが彼女だけで、祖母と兄が搬送されて来なかった時点で、覚悟はしていた。
覚悟はしていたが、気持ちが追いついていかず、指先で眉間をきつく押さえる。
嘘つきめ、と心の中で呟く。
絶対に治すと決意したのに、守るはずだったのに、先に逝ってどうする。
やがて小さく動き出した彼女に、もう一度声をかける。
「……レイ、先生」
「気分はどうだ。頭痛や、吐き気は」
「大丈夫……」
ゆっくりと体を起こそうとする彼女の背中に手を添えて、支える。
ありがとう、と呟く彼女を見て、ひとまず意識の混濁はなさそうだと安心する。
先程自分の名前を呼んだことからも、記憶もあるだろう。
彼女は傍らの床頭台に置かれたペンダントを見つけると、ヒュ、と息を飲んだ。
「あ……にい、さ……」
短く呼吸をし始める彼女の背をさすって、名前を呼ぶ。
それでも彼女は収まらず、ついには過呼吸を起こし始めた。
「落ち着け。ゆっくりだ。ゆっくり、息を吐くんだ」
背中をさすりながら口元に手を添えて、数秒程度呼吸を止めてやる。
手を外してゆっくり吐き出させて、また数秒程度口を塞ぐ。
それを数度繰り返して、彼女はようやく落ち着きを取り戻した。
生理的なものか、目から涙が溢れる。
「今日の午後には検査の結果も出る。結果次第だが、最低でも3ヶ月は入院してもらう」
「3ヶ月……!? そんなにいられない……!」
「主治医の指示には従え」
そう言うと、不承不承、といった様子で彼女は頷いた。
結論から言うと、彼女の検査結果は何も問題がなかった。
それを彼女に告げれば、じゃあ3ヶ月も入院はいらないでしょう、と返してきた。
頭を打ったのだ。今はCTに問題がなくとも、時間差で問題が起きる可能性もある。
そう説明しても聞く耳持たずで、不調があればすぐに言うから、と押し切ろうとする。
結局、見兼ねた他の医者や看護師に割って入られ、およそ1ヶ月で彼女は退院することになった。
代わりに、退院証明書には通院の頻度や復職に関することまで、事細かに注意事項を書いて送り出した。
それだけ書いても、きっと彼女は無理をする。
だからここに押し留めておきたかった。
一人にしたくなかった。
主治医としてだけでなく、一人の友人として。大切な『妹』として。
そんな心配をよそに、早速彼女は早足で行ってしまった。