main

世界の果て

それはまさに青天の霹靂だった。
極地で例の調べ物をしていたレイがワンダラーに襲われた、とファン先生から連絡が入ったのだ。
レイがワンダラーに遅れを取るとは思えなかったが、件のワンダラーは何やら特殊で、現在も逃走を続けているという。
さらに、ワンダラーに襲われたレイが目を覚まさない、とも。

霊空での仕事を切り上げて慌てて飛行機に飛び乗る。
白雪町へ着いたのは、レイが襲われた連絡を受けてから丸一日経った頃だった。
ファン先生の家に辿り着くと、ベッドの上でレイは静かに眠っていた。
怪我は大したことない、と聞いていた通り、大きな外傷はないように見える。
それなのになぜか目を覚まさないままだ。
「君の『共鳴』の力で、レイの中へ入れないか」
「レイの中へ?」
私のEvolにそんな力があるのだろうか、と迷いが生まれた。
精神世界へ入るだなんて、聞いたことがない。
それでも、今はそれに縋るしかなかった。
「……やってみます」
私はレイの胸に手を当てて、Evolを使った。
視界が光に包まれ、意識が遠のいていく。
次に目を開けた時、あたり一面は猛吹雪だった。
目を開けていられないほどの白い闇。
この吹雪が、本当にレイの精神世界なのだろうか?
寒さに体を擦りながら恐る恐る一歩踏み出すと、足元が深く沈む。
どうやら足元は積もった雪のようだ。
その雪の下がいきなり抜けないことを祈りつつ、薄氷を踏むような慎重さで進む。
ところどころに氷の塊があるが、レイのものとは違う、黒い氷だった。
強力なワンダラーと戦っている時、レイの氷は時折濁ることはあったが、やはりそれとも違う。
やがて、氷の向こうに人影が見えた。
闇に溶けそうなほど黒いロングコートに身を包んだ人影は、見知った姿によく似ていた。
「レイ……?」
「誰だ」
だが黒衣を纏った彼は、見知った人とは全く違う、冷たい目と声音をしていた。
「どうやってここへ来た」
「あなた……誰? レイだけど、レイじゃない……」
彼はその手に氷を宿しながらこちらに近付いてくる。
「お前から特異エネルギーを感じる」
「それは……」
「お前もいずれワンダラーになる。ならばせめてその前に」
特異エネルギーがあるのはハンターだから、とか、心臓にコアが、とか、いずれワンダラーになるってどういうこと、とか、そんなことを聞いている暇はなかった。
鋭い氷が解き放たれ、一直線にこちらに向かってくる。
応戦しなきゃ、と銃を抜こうとするが、今撃って彼に当たったらレイはどうなるのか、という迷いが判断を鈍らせた。
眼の前に氷が迫り、思わず目を閉じた。
その瞬間、硬いものがぶつかったかのような鈍い音が鳴り響く。
衝撃はいつまで経っても来ない代わりに、不意に肩に手が置かれた。
目を開けると、目の前に透き通った氷の壁があり、すぐ横には手を前に突き出したレイがいた。
「レイ……!」
「これは、どうなっている……お前は何故ここに……いや、ここは何処だ?」
「ここは、あなたの中! あなたの、心の中、というか……! あなたはワンダラーの攻撃で昏睡して……!」
「つまり精神攻撃を受けて、精神の牢獄にでも囚われたか」
理解が早くて助かる。
私とレイは、そこにいる彼を見据えた。
「彼は誰? あなただけど、別人みたい」
「あれは……」
レイと彼はお互いに睨み合っていた。
先に口を開いたのはレイのほうだった。
「……いや。ただ少し、夢と現実の境界が曖昧になっただけだ」
「夢と現実?」
いや、とまた呟き、レイは小さく頭を振ると、私の手を強く引いた。
突然のことに足元がよろめく。
「帰るぞ。私が目を覚ませばいいだけのことだろう」
「でも、彼はほっといていいの?」
立ち去ろうとする私達を彼が見逃すはずもなかった。
背を向けた途端に、氷の破片が飛んでくる。
「逃がすか……!」
彼は手に黒い氷を宿して向かってきた。
だが、その攻撃は先程よりもどこか力なく見える。
全力で向かってくる彼を、レイはより大きな氷晶であっさりと弾いた。
「無駄だ。お前は私の『夢』だと認識した以上、本物が夢に負けるなどあり得ない」
彼は僅かに驚いた顔を見せる。
更にほんの僅かに、驚きの中に絶望のような色も見えた。
まるで何かに縋るような。
「……それでも」
その縋るような目が、私を捉えた。
私に、何かを言いたいかのような。
その顔のまま、最後の力を振り絞るかのように、こちらに向けて手を伸ばしてくる。
思わず、その手を取ってあげたくなるほど。
けれどその前に、その手もレイに先に掴まれた。
「お前には渡さない。これは私のものだ。『お前』のものではない」
その瞬間、氷が割れるように暗闇が割れた。
当たり一面が光に覆われ、彼もそれと同時に消えてしまった。
目を開けていられなくなり、きつく目を閉じる。
次に目を開けた時、私達はファン先生の家にいた。
ベッドの上で横たわるレイの胸の上に、私は突っ伏していた。
私が体を起こすと、レイも同時に目を覚ました。
よかった、というファン先生の安堵の声が聞こえる。
「……レイ?」
レイを呼ぶと、ゆっくりとこちらに手を伸ばして、優しく頬を撫でられた。
いつものレイだ。
私がよく知る、レイの手だ。

それからほんの数日、レイと共にファン先生の家で養生し、そして揃って去ることになった。
白雪町から極地駅へ向かう列車の中、ボックス席で向かい合う。
レイの長い足は座っていてもなお、私の足と軽くぶつかった。
「……ねえ」
「なんだ」
「あの時出会った彼は、結局誰だったの?」
聞いたらいけないことかもしれないと、心のどこかで感じていた。
けれど興味が勝っていた。
逡巡の末、レイは小さく、ゆっくりと答えた。
「夢の中の私だ」
「夢の中のレイ?」
「時折、『彼』になっている夢を見る」
レイはそれ以上何も言ってくれなかった。
だからもう聞かないことにした。
いずれきっと話してくれる日が来ると信じていた。
彼は『それでも』のあと、何を言おうとしたのだろうか。
それでも、夢が現実を超えることもあると思いたかったのだろうか。
昔、この世界は蝶の見ている夢だと言った人がいた。
ならばあの彼の見ている夢が、ここなのかもしれない。
せめて彼に、優しい夢が訪れたらいいのに、と目を閉じた。

Category: