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メフィストフェレス

※ファウストのあらすじはかなり間違ってます

「メフィストの名前の由来って何なの?」
とある日、なんとなくシンの隣で微睡みながら、更に隣のメフィストを撫でながら尋ねる。
名前の響きは可愛いけれど、聞き慣れない言葉だ。
シンは読んでいた本から顔を上げて、指先で眼鏡のブリッジを押し上げる。
「メフィストフェレスという悪魔がいた」
「……本当に?」
「と、いう創作だ。死後の魂と引き換えに目眩く経験をさせてやると、とある男を誘惑した」
曰く、とある優秀な学者がいた。
学者の男は人生に退屈し、自ら命を絶とうとした。
そこへ悪魔が現れ、この世のあらゆる喜び、悲しみ、怒り、知恵や興奮をほしいままにできるだけの魔力を与えた。
ただし魔力が尽きる時、男の命もまた尽き、悪魔が男を地獄へ連れて行く。
そうして人生を謳歌していた男は、一人の女性と出会う。
彼女と恋に落ち、愛し合うも、彼女の親族に結婚を反対されたことで親族を殺し、彼女を孕ませる。
だが親族殺しを彼女の仕業と勘違いした兵隊によって彼女は連行され、死罪となる。
狂い果てた男は人造人間を作り始めるがことごとく失敗し、そしてついに気を病んで死ぬ。
悪魔が男を地獄へ連れて行こうとしたとき、かつての恋人であった彼女の純粋な祈りで、男は天国へ旅立つ。
「確かそんな話だ」
「なんというか……理不尽というか、納得できないんだけど……」
「昔の戯曲ってのは大抵そんなものだ」
「どういう意味なの? 『メフィストフェレス』って」
「『光を愛せざるもの』」
この世のあらゆる経験をさせてやる、と男を誘った、光を嫌う悪魔。
その悪魔の容姿も、きっと美しかったのだろうか。
今、目の前にいる彼のように。
私も彼に誘惑されて、いつか破滅するのだろうか。
そんな思いを抱えながらシンに寄りかかる。
「お前ならどうする」
「どうって?」
髪を撫でられ、頬を撫でられ、目を合わせる。
赤い右目がぼんやりと光る。
心の内の欲望まで見透かすというその目。
「俺が、お前のあらゆる望みを叶えてやる。対価はもらうがな」
「対価は何?」
「当然、魂だ」
耳元に唇が寄せられ、低い声が発せられる。
その声に、頭が麻痺していくようだった。
「俺と一緒に、地獄に落ちてくれ」
芝居がかった口調に、シンは自分で小さく笑うが、私にとっては笑い事じゃない。
そうなったとして、私はきっと悪魔といることを選ぶ。
悪魔に誘われるまま、一緒に地獄に行くことを選ぶのだろう。
「……いいよ」
同じように耳元で囁き返す。
私がそんな返事をするとは思わなかったのか、シンは一瞬だけぽかんとした。
「私はあなたのために祈ったりしない。天国になんて連れて行ってあげないんだから」
再び見つめ合った彼の眼鏡を外す。
没収したそれを投げ捨てるわけにもいかず、手に持ったままになっていると、その手首を軽く掴まれた。
目を閉じて、彼に応じる。
「俺とお前がいれば、そこが天国だな」
膝の上にいた小さな悪魔は、私と彼が地獄に落ちるのを見届けると、どこかへ飛んでいった。

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