ムーンライト
時々、考えることがある。
なぜ僕は、不完全な孵化で助かったのだろう、と。
ただの偶然、と言ってしまえば簡単だった。
あるいは奇跡で片付けてしまえば話の種にもなるだろう。
けれど、きっとどちらも違う。
これは今となっては憶測に過ぎないことだけれど、二歳児検診でエリート判定が出た、というのは嘘だ。
二歳児検診でエリウリアスの卵を植えられた者が、エリートという名で監視下に置かれたのだろう。
それ以外の者には、定期健診と称して何年かに一度、ランダムに選んだ市民に卵を植える。
早い段階で卵を植えられた者は、最適な行動を取るようコントロールされ、名実共にエリートになる。
逆に、ランダムに選ばれた市民は、それまでの生活を続けたまま、性格や思考もきっと大きく変化はしないままで過ごす。
エリートと非エリート、それから西ブロックで手に入れた非市民、全てのサンプルを手に入れるために。
閑話休題、僕が助かった理由は、あの夜彼を受け入れたからじゃないだろうか。
歌うものを受け入れた僕は、知らないうちにエリウリアスのお眼鏡に適ったのだろう。
エリウリアスの卵を植えられていたのなら、納得できる話ではある。
でも、エリウリアスに命じられるまま、彼を助けたわけではきっとない。
僕は、彼に呼ばれた。
雨に紛れて、風に消えるように、小さく『たすけて』と呼ぶ声を聞いた。
僕は、彼に出会いたかった。出会いたくて窓を開けた。出会うために受け入れた。
誰のものでもない、これは僕だけの感情だ。
彼は『僕が彼を助けた』と言ったけれど、きっと違う。
助けられていたのは、いつだって僕の方だ。
仕事もそこそこに過去に思いを馳せたまま、なんとなく窓から空を見上げた。
満月だ。
都市を囲っていた高い壁は、さすがにすぐに全て撤去とはいかず、一部はまだ残っていた。
それでもゲートは開いたままで、出入りはいつでも誰でもできる。
その高い壁の上にぽっかりと浮かぶように、光る満月。
月の光は人を狂わせる、といつだったか彼が教えてくれたことがあった。
実際は、まだ街灯などがなかった時代に、子供が夜に出歩かないようにという牽制に過ぎなかったのだろうが。
それから彼は、狼男の物語を演じてみせた。
それに対して、農作物や食料の保存方法が悪かった時代にパンに繁殖した麦角菌を摂取してしまい、アルカロイドによって引き起こされる症状を騒ぎ立てたんだ、と言えば、なぜか喧嘩になった。
実際、月を見て気が狂ったりはしない。
けれど今夜ばかりは、狂ってしまっていいだろうかと考えてしまう。
過去を思い出しすぎたせいだろうか。
どうしようもなく寂しくなって、窓を開けて、あの夜のように叫んでしまいたい。
それで君に会えるのなら。
「……会いたい」
窓を開けて、口から出たのは叫びではなく、そんな言葉だった。
今にも泣き出しそうな声。我ながら情けない。
満月を見上げて、言葉を続ける
「君に、会いたい」
月の光は、太陽の光を反射して地球にそそいでいる。
ならば僕の声も、月面を反射して、君に届くだろうか。
月が眩しかったせいだろうか、ぽろりとひとしずく、涙が頬に流れた。