マヒル
When U come back?
「ただいま」
そう言って私の目の前に現れたのは、数ヶ月前に別れたはずの人だった。
何よりも大切で、愛しい、私の家族。
私は武器を降ろして駆け出して、その人に飛びつきたい衝動を必死に抑えて、目の前に立った。
「な、なん……どうし、て……」
言葉が上手く出てこない。近くで見ても、彼は別れたときのそのままの姿だった。あれから数ヶ月しか経っていなくて、私も彼も大人なのだから、大きく姿が変わることはないのは当たり前なのだけど、そうじゃない。
あの日の続きみたいに、何食わぬ顔で、そこにいる。
不意に手を伸ばされ、私の手を少し乱暴に撫でる。その手の暖かささえそのままだ。
そして彼は、自分の胸元を指先でトントンと差した。
「オレのペンダント、持ってるんだろ?」
ポケットから取り出して、手の平に乗せて差し出す。けれど彼はそれを受け取らずに、体を屈めて顔を近付けてきた。
「つけてくれ」
遠い日の思い出のようだ。私は少し背伸びをして、金具を外したチェーンをそれぞれ両手に持って、彼の首の後ろに回す。ぱちん、と小さな音とともに金具を止めて手を離す。お互いの体を離せば、彼の胸元に見慣れたペンダントが揺れた。
彼はそれを二、三度指先で弄ると、小さく笑った。
「おかえりのハグはないのか?」
そう言って軽く両手を広げて、私を待つ。
「そんなのしたことないじゃない」
悪態をつきながらも、彼の首に抱きつく。よく知った大きな両手が、私の背を受け止めてくれた。
「おかえり、兄さん」
Who are you? Who are you?
「兄さん……?」
ワンダラーとの戦闘が落ち着いた中、ふと見かけた背中に思わず声をかける。
そんなはずない。彼は数ヶ月前、死んだはずだ。私は幻を見ているのだろうか。
けれど呼びかけたその人は振り返り、その顔は確かに見慣れた兄の姿かたちだった。振り返ったその顔に、私によく似た驚愕が浮かぶ。
「兄さん!」
もう一度呼びかけて駆け寄る。兄は私が近付くと同時に、少しずつ表情を落ち着けた。
「どうして……これは、夢?」
「お前……そうか、お前が『お前』なんだな?」
どういうこと、と首を傾げると、兄は天を指さした。相変わらず不気味に口を開けた深空トンネルが首をもたげている。
「オレはお前の兄じゃない。いや……『お前』が知るマヒルではない、って言えばいいか?」
「何を言ってるの?」
「オレは深空トンネルの向こうから来たんだ。あの向こうに何があるか知ってるか?」
首を振ると、兄はゆっくり話してくれた。
あの向こうには、別の世界がいくつも、多元的に存在している。その中のひとつが兄の、『彼』のいた世界だった。彼の世界では、『私』が死んだ。それどころかワンダラーが蔓延って、もうどうにもならなかった。だから別の世界へ避難してきた。
にわかには信じ難いことだったが、彼の顔は真剣で、冗談ではないと思い知る。
「オレはお前を……『妹』を守りきれなかった。だからここにお前がいるなら、今度こそ守りきってみせる」
そう言って私の手を握る彼は、知らない人に見えた。けれど私もまた、今度こそ『兄』を守りたかった。お互いに、亡くした存在の代わりではないとわかっていても、亡くした半身を求めてしまうのだ。
Did you see the sunrise?
ワンダラーに襲われた子供を守ろうと覆いかぶさって、すぐそこに凶刃が迫る。もうダメだ、と覚悟して子供を抱き締めて目を閉じると、横から来た別のワンダラーが吹き飛ばしていった。突如現れた別のワンダラーは見たこともない姿をしていて、私と子供をじっと見下ろす。二度目の覚悟をしていたが、そのワンダラーは私の前に跪くように蹲り、次の瞬間には体が靄のようなもので覆われていく。気付いたときには、靄の中に人影が見えた。
「人に変異するワンダラー……?」
「正確には、ワンダラーに変異する人、だな」
靄の中から聞こえたのは、どこかで聞いた人の声。靄が晴れると同時に、そこには跪く一人の男がいた。
「兄、さん……」
「その子、早く避難所に連れて行ってやれよ」
近場にいたハンター仲間にその子を託し、私は兄の腕を引いて人目につかないところへ逃げ込む。
人に変異するワンダラー、いや、ワンダラーに変異する人、でもどうして兄がそんな存在になっているのか。
問い詰めれば、兄は困ったように頬を掻いた。
「オレにもわからない。あの爆発で意識をなくして、目が覚めたら変身能力を手に入れてた」
「そんなことって……」
「でも、これでオレも戦える。Evolも同じように使えるしな」
戦えるといっても、ワンダラーとして協会に見つかればただでは済まないし、もし人がワンダラーに変身すると露呈してもやはりただでは済まない。
危ないし、心配だ。そう諌めようとすると、伸ばした人差し指を唇に当てられた。
「わかってる。オレとお前だけの秘密だ」
その仕草は幼い頃となにも変わらなくて、なぜかひどく安心した。