ハンターとヴァンパイア セイヤ編
5
それ以来、彼女は人間を嫌いになったとか、恨んでいるかと聞かれれば、そんなことはなかった。ただ、彼女は次第に恐れていった。
「人間を?」
「いや。『人間と違うことを』だ」
人間と吸血鬼は相容れないのだと、強く思うようになってしまった。その原因の一端は、間違いなくあの領民達だったけれど、セイヤにも原因がないわけではなかった。
「セイヤ、出会った時と少し変わったね」
「変わった?」
「背が伸びたし、顔つきも……かっこよくなった?」
「それはそうだろう。人間は成長する」
成長、と彼女は呟く。彼女は出会った頃から何も変わらない。
「そっか……セイヤも、いつか……」
「いつの話をしてるんだ? あと数十年はいるぞ」
「たった数十年じゃない」
彼女にとって、人間の『成長』とは死に向かっていくことだった。時間の感覚が違うから、すぐに老いて死んでしまう存在なのだ。
「おばあちゃんが死んだ時も、すごく悲しかった。だけど、セイヤがすぐに来てくれたから」
セイヤと過ごした時間は、気が付いたら老人と過ごした時間を超えていた。セイヤがいなくなったら、またひとりぼっちになってしまう。ひとりぼっちは慣れていたはずなのに、どうしてだろう。すごく悲しい。セイヤと出会う前、どう過ごしてたのか思い出せない。いつか、セイヤが死んでしまったら。
領民は、人間は『吸血鬼』を受け入れてはくれない。いつか自分を喰らうかもしれない怪物のことなんて。
吸血鬼と人間は共には生きられないのだと、この間の一件で知った。それにセイヤだって。いつか自分の中の獣が、セイヤを喰らい尽くすかもしれない。
彼女はそれを恐れていた。ひとりぼっちになりたくない。セイヤを殺したくない。セイヤがいくら説得しても、彼女はその恐怖を拭えなかった。
セイヤも、ずっと一緒にいる、と無責任なことを言えなかった。どうしたって、セイヤは先に死ぬだろう。
「せめて、俺が生きている間は、あんたと一緒にいると誓う」
「……うん」
泣きそうな顔をする彼女にキスをする。時間が止まればいいとさえ思った。せめてセイヤも時を止めて、彼女をひとりにしたくないと。
「私、朝日が見たい。生まれて初めて、陽の光を浴びたい」
だからこそ、その申し出を断れなかった。吸血鬼には核がある。その核からは、夜の闇とともに新たな吸血鬼が生まれると言う。ならば彼女の核からも、また吸血鬼が生まれるはずだ。『今』の彼女が生まれ直すことを望むのなら、それでもいい。
「ねえ、もし私が死んだあとに遺るものがあったなら……」
できるなら『遺ったもの』は、暗い夜の世界だけじゃなくて、明るい陽の光の下においてほしい。
「……約束する」
彼女の部屋のカーテンを開けて、二人でバルコニーに座って、夜明けを迎える。空が白み、やがて林の向こうから陽が差した。
熱い。痛い。肌が燃える。
彼女は声にならない悲鳴をあげながら身を守るように体を丸める。セイヤは陽の光に当たらないように彼女を抱き締めるが、それも限界があった。セイヤの腕の中で、彼女が燃え落ちていく。
「セイヤ……」
「駄目だ、止まれ!」
いくら『今』の彼女が死を望んだとして、『今』のセイヤはそれを受け止めきれない。今、こうして過ごしている日々は、全て過去のものになって、消えてしまうのか。だが今更彼女の体の崩壊は止まらなかった。
「……暖かいね」
そして彼女の体は灰になった。残ったのは、宝玉のような核と、泣きじゃくる赤ん坊だけだった。どこにも欠けのない、覗き込めば曇りもない、完璧な状態の核。セイヤはその核を持ち去り、吸血鬼は死んだと告げた。自領ではセイヤが討伐したとして、彼は後に最初のハンターと呼ばれることになる。
そしてセイヤは人知れず赤ん坊を連れて自領を去った。
それから間もなくして、彼女の灰はいくつかの核になり、それぞれから吸血鬼が生まれていった。吸血鬼はお互いに縄張りを決め、できるだけ干渉しないように、その範囲の中で人間を襲うようになった。だが時を経ていくうちに吸血鬼の核は次第に割れ、吸血鬼は数を増やし、縄張りも関係なくなっていった。
「なぜ、彼女の灰から多数の吸血鬼が?」
「ひとりぼっちは寂しいからな」
吸血鬼には弱点が多く、自らの命を削って使い魔を作り出し、強欲に何かを渇望する。
きっと、誰かと共に生きるために。
それなのに人間を襲って殺し、吸血鬼同士で争うことすらあった。その『飢え』の本質を、当の吸血鬼達は知らないままなのだろう。
「『月影ハンター』が、『女王』を討伐していなかったなんて……」
「だが月影ハンターは、その後人間を襲う吸血鬼を討伐するようになったから、ハンターには違いない」
メモを取る男の手は進まなかった。興味深い話なのに、知っている吸血鬼の話とはあまりにも違いすぎる。
「では、女王の子供は?」
一呼吸おいて、セイヤは再び話し始める。
生まれた子供は、吸血鬼でも人間でもなかった。核を持たない吸血鬼、とでも言えばいいのか。吸血鬼としての弱点はほぼない。核を持たないがゆえに使い魔を作り出すこともできず、吸血鬼のような特殊な力もなく、永遠の命も持たない。けれど確かに血だけを求める、人ならざるもの。吸血鬼の弱点や、使い魔を作り出す能力が、誰かと共に生きるために与えられたものならば、それらを持たないダンピールは、ただ孤独な者だった。
月影ハンターは子供を連れて自領を去った。次期領主が失踪したと、自領は混乱しただろう。彼は誰も知らない土地で、子供と二人で暮らしていた。子供本人には、吸血鬼のことは何一つ語らなかった。それでも時折、子供が血を求めて暴走する時には、小さな体を抱き締めて押さえ込んだ。
だが、その日々も長くは続かなかった。彼女がいなくなって五年ほど経つ頃には、彼は自分の容姿が変わらないことに気が付いた。更に、自分が光を操る能力を得ていたことに気付く。といっても、灯すだけで、消すことはできない。永遠の命と、光を灯す能力。彼女が持っていたはずだったもの。
なぜそれが彼に受け継がれたのかはわからない。体を重ねたせいか、子供を設けたせいか、彼女の血を舐めたせいか。自分以外にそんな存在がいないから、最後までわからないままだった。
ともかく姿の変わらない彼は、成長する子供と一緒にはいられないと思った。そのため自らの死を偽装し、子供を孤児院へと預けた。そうして長い時間を生きながら、人知れず子供を守り続けた。吸血鬼に近付かないように。吸血鬼を近付かせないように。子供が大人になり、老人になって死ぬまで。その子供も、またその子供も。子供達は誰一人として自分が女王の子孫であるとは知らないまま人間として生き、長い時間をかけて吸血鬼の血は薄まっていった。
「では、女王の子孫は今も?」
「ああ。どこかにいる。……ところで、あんた、子供はいるか?」
「ええ、もうすぐ一歳になりますが……?」
セイヤはそれ以上何も言わず、そうか、と呟いて小さく頷いただけだった。
やがてハンター協会が組織されると、月影ハンターはただのいちハンターとして組織に属した。数年置きに除隊したり、あるいはまた死を偽装して、何度もハンターとして名を残し、吸血鬼を討伐し続けた。いつか、人間を襲わず、共存を望む吸血鬼が現れるまで。
セイヤの話を聞き終えて彼を見送った男は、一人残された部屋で頭を抱えた。
これを後世に残すべきかどうか。協会が女王を討伐しておらず、月影ハンターとの子孫が今もどこかにいて、それどころか月影ハンター本人すらどこかにいる。
男は、月影ハンターがセイヤのことであろうと気が付いていた。これが世に出てしまえば、セイヤの身はどうなるのか。そして、男自身もどうなるのか。嘘つきだと詰られるだけならばまだいい。協会に投獄を命じられでもしたら。
頭を抱えたまま、再びペンを走らせる。今しがた聞いた彼の話の最後に、『これは事実かもしれないし、フィクションかもしれない』という気休めの一文を書き加える。
ようやく立ち上がり、壁のスイッチを押して白熱球の灯りを消した。時間はすっかり深夜だ。家に帰って一眠りして、日が昇ったら出版社に掛け合ってみようか。そう思って一歩踏み出した時だった。
「霧……?」
今夜の天気は霧の予報だっただろうか。その霧はどこか重々しく、肌に纏わりつく。数メートル先も見えない霧の中を慎重に歩いていると、やがて背後から、悠々と歩いてくる靴音が近付いてきた。