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ハンターとヴァンパイア セイヤ編

4

「彼女は穏やかに過ごしていたんですね」
「ああ。だが、『女王』の末路はあんたも知っての通りだ」
 その言葉に、男の表情が曇る。
 『女王』は『月影ハンター』によって討伐されたのだ。これほど穏やかに過ごしている彼女が。

 その町での暮らしは数年が過ぎ、あの祭りの日以来、彼女は時折町に出るようになった。セイヤは少年から青年へと変わり、人々も彼女のことを次第に受け入れていった。彼女が何者かはわからないが、セイヤに任せておけば大丈夫だろう、と安心しきっていたのだ。
 けれど何かの拍子に、数年前の話を持ち出す者がいた。彼女が夜、林で捕らえたウサギに噛みついていた、という話だ。それは酒が入ったゆえの何気ない話のはずで、彼女も何気なく答えたのだ。自分は『吸血鬼』と呼ばれる存在で、ウサギの血をもらっていたのだと。
 途端に、領民達の目の色が変わる。ウサギの血を飲む行為を気持ちが悪いと咎められ、人間の血も吸うのかと恐れられた。
「彼女はそんなことはしない。俺は一度も血を吸われたことは」
 セイヤが止めに入るが、酔った領民達は止まることはない。セイヤが毎夜のように屋敷に行くのも、セイヤの血を奪うために違いないと彼女を詰る。
「……行こう」
 ここにいるのは危険だと判断し、セイヤは素早く彼女を連れ出した。逃げるように屋敷に送り届ける。息を切らした彼女は、暗い顔で俯いた。
「……ごめんなさい」
「あんたが謝ることじゃないだろ」
「私、油断してた。セイヤみたいに、町の人も『私』を受け入れてくれるって……」
 泣きそうになる彼女を抱き締め、頭を撫でる。彼女はセイヤの肩口に顔を埋めた。
「……人間が嫌いになったか」
 彼女はセイヤに縋りついたまま、首を横に振った。
「人間が私を恐がるのは仕方ないよ」
 こんなことになるなら、連れ出さなければよかった。今更後悔しても遅いが、どうか気を落とすなと告げて、屋敷に入る彼女を見送った。

 それから数日後、セイヤが町から離れていた日のことだった。まだ日の高い時間に、領民達は数名で彼女の屋敷へ向かった。彼女はセイヤや領民達とのふれあいで、気を許していた。だから最近は扉の鍵を開けたままにしていたのだが、それが仇となった。
 一階の納屋で眠っていた彼女は、突然の物音に飛び起きた。ドアの隙間から盗み見れば、数名の男達が侵入してきている。ここから出てはいけない、何か押さえられるものを、と納屋の中を探し回っているうちに、物音に気付いた一人の領民が納屋を開けた。
「いたぞ!」
 腕を掴まれ引き摺り出される。数人がかりで床の上に組み敷かれた。
「吸血鬼が人間を食うなら、俺達が吸血鬼相手に同じことをしたっていいよな?」
 服に手をかけられ、何が目的なのかもすぐにわかった。嫌だ、と咄嗟に手を振り払うと、組み敷いていた男達を退けるくらいはできた。吸血鬼の腕力は人間よりは強い、と初めて知った。
 慌てて立ち上がり逃げようとするが、屋敷のカーテンがほとんど開けられていた。彼等が弱点を知っているとは思えないし、セイヤが喋ったとも思えない。ただ、屋敷の中が暗かったから開けただけなのだろう。
 窓から差す光の中を走っていくが、体が焼けていく。熱い。目も開けていられないほど眩しい。
 ついにその場にうずくまると、追いついてきた男に腕を引っ張られた。
「いや……!」
 手の平に光を生み出し、男達のほうへと放つ。それは意図せず刃のようになり、彼等の体を傷付けた。そのうちの一人が、当たりどころが悪かったらしい。意識がない、と彼等が騒ぐ。
「あ……ご、ごめ……」
「この化け物め!」
 意識のない一人を抱えながら、男達が去っていく。残された彼女はゆっくりと立ち上がり、体を引き摺りながら屋敷のカーテンを閉めて回り、扉の鍵を何度も確認する。
 傷付けてしまった。こんなはずじゃなかったのに。
 二階の自室までなんとか辿り着いて、ベッドに体を預けた。
 ごめんなさい、と何度も呟いて、意識が沈んでいく。

 夜、町に戻ったセイヤは、件の男達から、吸血鬼にやられた、と報告を受けた。領民達は、すぐに吸血鬼を殺せと湧き立つ。だが、彼女が理由もなく人間を襲うはずがない。そう説得しようとしても、彼等は聞く耳を持たなかった。
 彼女の身が心配だった。討伐、と称して剣を携え、セイヤはすぐに屋敷に向かった。
 扉には鍵がかけられていて、開かない。確か彼女の部屋にはバルコニーがあったはず、と手頃な木をよじ登り、目的のバルコニーに降り立った。窓を軽くノックすると、中で何かが動く気配がする。カーテンを開けた彼女の顔を見て、セイヤは言葉を失った。顔も、体も、焼け爛れている。髪は焦げ、片目は開かなかった。
「……セイヤ」
 窓を開けて招き入れてくれた彼女を、無我夢中で抱き締めた。領民達のせいでこうなったのは聞くまでもない。それでも彼女は、あの人達は悪くない、と繰り返した。
「大丈夫。またウサギを食べて、ゆっくり寝れば、半年もあれば」
 半年。彼女の回復力をもってしても、そんなにかかるのだ。それに、ウサギを狩りに行く間に、また襲われないとも限らない。
「人間の血はどうなんだ。役に立つか?」
 ずっと疑問に思っていたことをぶつけると、彼女は戸惑った。
「わからない。人間の血なんて吸ったことないよ」
 セイヤは剣を抜き、自らの指を切った。痛みは大してない。
 その途端に、彼女の中に、その血が欲しい、という欲が溢れ出る。彼女を誘う匂いがする。彼女は必死に口を押さえて耐えるが、セイヤはその手を外した。
「ダメ……セイヤ、放して……」
 半ば強引に口を開けられ、血のついた指先をゆっくり捩じ込まれる。痺れるような味が全身に広がった。
 甘い。美味しい。もっと欲しい。
 気付けば夢中になって指を舐めていた。それと同時に彼女の傷は少しずつ塞がり、閉じたままだった片目がゆっくり開いた。
「まだ足りないか……」
「充分だよ。これ以上吸ったら、セイヤが死んじゃうよ」
 セイヤは構わず服のボタンを外し、襟を開けた。剣を持ち上げそこに刃を当てる。
「ダメ!」
 彼女が止めに入るが、刃先はセイヤの首筋と、彼女の手の平を僅かに裂いた。彼女はほぼ無意識に、その傷に唇を寄せた。
 甘くて、止まらなくなる。
 気が付いたらセイヤの首に牙を立てていた。セイヤの口から熱を帯びた吐息が漏れる。
「っ、ごめんなさい……!」
「いや、いい……」
 彼女の焼け爛れた顔が治っていく。人間の血にこれだけの効果があることは、彼女自身も予想外だった。
「でも、私の牙には毒があって」
「これは毒というよりは……」
 毒には違いないが、死に至るものではない。セイヤは毒に耐えて手を握りしめた。
「俺が何かしたら、迷わず殴ってくれ」
「そんな」
「あんたに乱暴なことをしそうだ」
「いいよ。私があなたに乱暴なことをしてるんだもん」
 労るように首筋の噛み傷を舐められて、限界だった。彼女を抱き締めて、キスをする。彼女が欲しい、というその欲に溺れそうだった。未だ塞がっていない手の平の切り傷に唇を寄せ、僅かに舐める。彼女の血の味がした。
「ごめんなさい……私、まだ足りない……」
「ああ。好きなだけ吸ったらいい」
 すると彼女は首を振る。
「……あなたが欲しい……」
 その言葉に彼女を押し倒して、指を絡ませた。

「彼女と体を重ねたのはその一度きりだった。けれどその一度で彼女は子供を身籠った。尤も、彼女本人がそれに気付いていたのかは、最後までわからなかったが」
「身籠った……? 彼女には子供が……?」
 男の手からペンが落ちる。人間と吸血鬼の間に子供ができる、なんて話は前代未聞だった。これまでのどの資料にも載っていない。
「『核を持たない吸血鬼』……ダンピールの話は、また後で。まずは順を追って話そう」

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