main

ハンターとヴァンパイア セイヤ編

3

 その時点で、吸血鬼というものは彼女一人しかいなかった。
「女王が吸血鬼を生み出したのでは?」
「正確には『吸血鬼の核を』だ。だが、それはもっと後の話だ」

 それから一ヶ月ほどが過ぎた。
「ねえ、太陽って見たことある?」
 彼女はそう言うと、手の平に光の玉を生み出した。
「この光よりも明るいの? あの星よりも? 月よりも?」
 彼女はあまりにも普通にセイヤに接するから彼女が吸血鬼だと忘れそうになる。本当に、ただ世間知らずなだけの少女ならよかった。セイヤは手を伸ばし、光の玉に触れる。それは本当にただの光の玉で、感触も温度もなかった。
「ああ。これよりずっと明るくて、暖かい」
「いいなあ。見てみたい」
 日々は緩やかに穏やかに過ぎていった。彼女は相変わらず夜の間だけ起きて、昼間は眠っていた。
「あんた、昼間はどこにいるんだ」
「家の中にいるよ。光が当たらないところ。いつもは昼間は寝てるけど、セイヤが来るなら起きてみようかな」
 屋敷の中はカーテンが引かれている。きっと大丈夫だろう、と彼女はどこか楽観的だった。あるいは陽の光を見てみたい気持ちもあったのだろう。

 次の日の昼間、セイヤは屋敷の扉をそっと開いた。鍵を開けておく、の言葉通り、今日は鍵がかかっていなかった。素早く中に入り、後ろ手に鍵を締めて、屋敷の中を探す。いつもの部屋にはいなかった。
 光が当たらないところ、と彼女は言った。ならば一階だろうかと屋敷の中を改めて散策する。知らない部屋もたくさんある。全ての部屋を開けて回っていると、一階の角の小さな納戸に、彼女はいた。
 窓のない納戸の中で、床の上で毛布にくるまって眠っている。体を痛めたりはしないだろうかと心配になり、つい髪に触れると、彼女は薄く目を開いた。
「すまない。起こしたか」
「セイヤ……本当に来てくれた」
 眠たそうな瞳で、指先を軽く握られる。やはり体が心配になり、彼女を一度抱き起こし、膝を枕にさせた。彼女は穏やかに寝息を立てている。その頭を撫でながら、セイヤも次第に微睡んでいった。

 目が覚めた時、日はすっかり沈んでいた。膝の上に頭を乗せる彼女を起こすと、欠伸をしながら起き上がる。
「……お腹が空いた」
 彼女はひと月に一度程度、『食事』を必要とした。その程度で足りるのかと聞いたら、夜の間に起きたとて何もしないから充分だと返された。またウサギを狩りに行こうとするその手をつい掴んで引き止める。
「どうかした?」
 人間の血は駄目なのか。
 そんな言葉が喉まで出かかった。何を言おうとしているんだと頭を振って手を放す。すると彼女は、セイヤの前にしゃがみ込んだ。
「セイヤも食べるの? ウサギ」
「……ああ」
 返事をして、一緒に立ち上がる。血を吸うだけで埋めてしまってはかわいそうだ。せめて肉も余すことなく食べてやれば、少しは報われるだろうか。人間のエゴでしかないが、そう思いながら彼女についていく。
 少し離れた林へ向かう途中、彼女は不意に町のほうへ目を向けた。
「なんだか、今日は町が賑やかだね」
「ああ、祭りがあるんだ」
「お祭り?」
 町の光に負けないくらい、彼女の瞳が輝く。
「今日から明日にかけてだけは夜通し光を灯して、道端や外で酒を飲んで食事を取る。明日の夜には、ランタンを空へ飛ばすんだ」
「なんの為に?」
「死者への弔いのために」
 先祖、あるいは近しい者が、天国で安らかであるように。そんな思いを込めてランタンを飛ばす。彼女は興味津々に頷いた。
「行ってみるか?」
「いいの?」
「どうせ皆酔っ払っているから、何もわからない。明日、迎えに行く」
 彼女は嬉しそうに頷き、小走りで林へ入っていく。
 林の中は真っ暗だった。ウサギが逃げるからと、角灯を使うのも禁止された。
 セイヤや領民が狩りをする時は罠をしかけておくが、彼女が事前に罠をしかけておいたとも思えない。どうするのか見守っていると、彼女は一点に視線を止めた。
「見つけた」
 彼女はそちらへ一歩踏み出したかと思うと、一瞬で姿を消す。本当に光のようだった。そして、離れたところで草が擦れる音がしたかと思うと、彼女はウサギの足を抱えて戻ってきた。ウサギは逃げ出そうと体を動かしているが、それも叶わない。彼女は片手でウサギの体を持ち上げ、もう片手で頭をそっと掴んだ。
「……ごめんね」
 小さく呟くと、喉元に強く噛みつく。ウサギの体は数度痙攣して、すぐに動かなくなった。
 これが『吸血鬼』だと、改めて理解した。どうあっても『人』ではない。
 彼女は口の周りの毛を拭うと、足を抱えたウサギをこちらに差し出した。
「食べる?」
「……ああ」
 受け取ったウサギは首が折れていた。家に戻ったら捌こうと、ウサギを抱えたまま彼女を屋敷まで送り届ける。解体したウサギには、血が一滴も残っていなかった。

 翌日の夜、彼女を迎えに行くと、彼女は黒いローブを頭から被っていた。
「そんな格好していたら目立つぞ」
「でも……」
 領民を警戒しているのだろう。大丈夫だ、とローブを脱がせて、手を引いていく。
 酒の入った領民達は上機嫌だった。セイヤと一緒にいる彼女を、誰も気にしたふうでもない。
 間もなくランタンを飛ばす時間になる。手に手にランタンを持ち、夜空を見上げている。
 セイヤ、と一人の男が手を振って駆け寄ってくると、彼女はセイヤの後ろに僅かに隠れた。男は首を傾げながら彼女を見て、セイヤにランタンを渡した。
「あの屋敷の子か?」
「ああ」
「そうか、出てこられたんだな。体が弱いって聞いてたから心配してたよ」
 未だ屋敷から出てこない彼女を訝しむ領民も確かにいる。そんな中で、男の態度はセイヤにとっても救いだった。じゃあな、と離れていく男に手を振って、セイヤは彼女の手にランタンを預けた。
 やがて領主の号令とともに、人々はランタンを空に放った。セイヤも彼女の手を取ってランタンを掲げ、手を放す。ふわりと浮き上がったランタンはそのまま飛んでいき、領民達のランタンと混じる。
「綺麗……」
 空に浮かぶ光が星のようだった。彼女はしばらくその光を見上げていたが、やがて胸の前で手を合わせて、指を組む。
「おばあちゃん……」
 あの屋敷で過ごした老人のことだろうとすぐにわかる。晩年のたった数年だけでも、彼女と老人は紛れもなく家族だった。
「あと、昨日のウサギと、その前のウサギと……これまでのウサギみんなに」
 生まれて初めて、誰かを愛しいと思った。隣に立つ彼女の顔をじっと見つめると、やがて視線に気が付いたのか、彼女はセイヤを見上げる。その頬を撫でて、髪を掬い上げた。

 女王は彼に受け入れられ、そして町の領民達にも受け入れられていくのだろうと男は思った。だが、そうはならなかった。今この時代に女王がいないことが何よりの証拠だ。

Category: