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ハンターとヴァンパイア セイヤ編

2

 吸血鬼、というものを更に知ったのは、それから数日後だ。初めて、彼女の『食事』を目にした。
「それは、人間でしたか……?」
「いや」
 恐ろしいもののように尋ねる男に、セイヤは小さく笑って返した。
「ウサギだ。信じられないかもしれないが、彼女は人間の血を吸ったことはなかった」

 彼女は先日までここに住んでいた老人の孫娘だ、と虚偽の報告をしたが、ならば領内に顔見せをすべき、しないのならばこちらから出向く、と領民達はそれはそれで躍起になった。彼女は体が弱く出歩けない、しばらくは自分一人で面倒を見る、となんとか押し切った矢先のことだった。
 領民から、あの屋敷から出てきた女が林でウサギを捕らえて食っていた、と報告を受けたのだ。
「ウサギくらい、俺達だって食べる」
「違う。生きたウサギに噛みついていたんだ」

 夜、いつものように屋敷を訪れる。ここに来るのはいつも夜だからか、確かに彼女が食事をしているところは見たことがない。
 『吸血鬼』というのは何を食べるのか。いつもの部屋を訪れれば、彼女は笑顔で手を振った。
「ウサギを食べたのか」
「うん。食べたよ。というより『飲んだ』かな」
 真偽を確かめようとするまでもなく、彼女はあっさり肯定した。
「飲んだ?」
「血をもらったの。お肉はいらないかな」
 そこまで言って、はっとしたように口を押さえる。
「お肉、食べたかった? ごめん、もう埋めちゃった……」
 死ぬまで血を奪う。けれど肉は食べない。これが『吸血鬼』、文字通り血を吸う生き物。
「むごいことをするな」
 咎めるつもりでそう言うと、彼女は首を傾げた。
「でも、あなただってウサギを食べるでしょ?」
 それはそうだ。何が違うのだろう。
「……俺達は血を飲まない」
 苦し紛れの言い訳にしかならなかった。最初の日に彼女が言った、『わからないものが怖い』という感覚が拭えなかった。
「そうなんだ」
 彼女はそんなことを気にしたふうでもない。私は血しか飲まないよ、と無邪気に笑う。
「血なら何でもいいのか」
「ネズミよりはウサギのほうが美味しかったかな」
 なら、人間は。人間の血を吸ったことはあるのか。
 それを聞いて、肯定されるのが怖くて、聞けなかった。
「……吸血鬼とは、何なんだ」
 小さく呟いた言葉は彼女の耳にも入ったようで、呻りながら答えてくれた。
「人間とは少し違うよ。心臓の他に『核』があるんだ。だから人間よりは長生きだし、生命力も強いと思うよ」
「その『核』の力か?」
 彼女は力強く頷いた。
「人間の食べ物は食べないし、大きな怪我をしても死ぬこともない。人間がかかるような病気にはかからないし」
「じゃあ、弱点はないんだな」
 すると彼女は首を振って、指折り数える。
「陽の光はダメ。あと銀の武器もダメだし、鏡には映らないし、招かれなければ家に入れない。流れる水を渡れないし、十字架や大蒜もダメ。苦手なものばっかりだね」
 人間であれば苦手としないようなものを避けるようだった。それだけ苦手のものが多いのに、人間よりずっと長く生きることができる。それらを避けながら生きるのは、難しいことだろうと思った。
「そのあたりのことは、手記にまとめてあるんじゃないかな」
 来て、と手招きされて部屋を出る。思えば、彼女がこの部屋を出るのを見るのは初めてだった。招かれなければ家に入れない、と先程彼女は言った。ならば老人には招かれたということだろう。
「うーん、角灯だけじゃ暗いよね」
 彼女は指を軽く振る。すると、セイヤの手に持った角灯の灯りが一際明るくなった。
「なんだ……!?」
「それ、私の力なの。でもやっぱり角灯だけじゃ暗いかな……私は見えるけど、あなたには見えないかも」
 彼女は廊下に向けて、もう一度軽く手を振った。すると、屋敷中の灯りが点いた。それはキャンドルに炎がついたわけではなく、炎よりも明るい光の玉が、キャンドルの先に灯っていた。
「どうなってるんだ……?」
 その言葉に彼女は悪戯っぽく笑い、もう一度手を振ると、灯りが一斉に消える。
「こうして、光を出したり消したりはできるよ」
「夜の闇でしか生きられないのに、光を操るのか」
「そう。おかしいでしょ?」
 もう一度灯りをつけ直し、老人の部屋だったという寝室に案内された。屋敷の中はどこも綺麗に掃除されており、この部屋も例外ではなかった。綺麗、というよりはこざっぱりしていた。物が少ないと言えばいいのか。彼女は迷うことなくベッドサイドのチェストを引き出して、一冊の手帳を取り出した。
「はい。多分これだよ」
 中を開いて軽く読んでみるが、それは手記というよりは日記のようだった。吸血鬼にまつわる情報はほとんどない。ただ、彼女が現れてからの何気ない日々のことが綴られていた。
 雨の夜、傷を負った彼女が目の前に現れ、つい家に引き入れてしまったこと。人間ではないことに気が付いたけれど、放り出せなかったこと。領民にも領主にも言えず、ずっと秘匿していたこと。次第に本当の娘のように思っていたこと。
「……『吸血鬼』に関する情報は何もないな」
「え、そうなんだ?」
「読んだことがなかったのか?」
 手帳を閉じて差し出すと、彼女は受け取りながら、表紙を眺める。大事そうに見つめてはいるが、開こうとはしなかった。
「だって、『恐ろしい』って書かれてたら、嫌だもの」
 そう思われているかもしれないのが怖くて、ずっと読めなかった。もちろん、老人本人にも聞けなかった。
「あんたのことを大事に思っていたようだ」
「……そっか」
 それだけ言うと、彼女は手帳を胸に抱き締めた。あとで読むよ、とはにかみながら言う。そのまま老人のベッドに腰掛け、隣に座るように催促された。外着のまま座ることに抵抗はあったが、もう誰も使わないベッドだと自分を納得させて、セイヤは隣に座った。
「ねえ、あなたのことも教えて」
「俺のこと?」
「そう。あなたの名前は?」
 自己紹介もしていなかったのだとようやく気付いた。
「……セイヤ」
「セイヤ……」
 彼女に呼ばれると、自分の名前すら特別に聞こえる。
「綺麗な名前だね」
 そう言って笑う彼女に心惹かれ始めていたことを、この時のセイヤはまだ知らなかった。ただ、老人がそうしたように、彼女を守りたいと思い始めていた。

「その男は小領主の息子で、自警団の一員で、彼女を討伐しに来たと、正直に告げた」
「それで、彼女は何と?」
「何も。ただ笑うだけだった」
 そこまで話すと、男は眉間を書きながらペンを休ませた。
「信じられない……それが『女王』?」
 ただのあどけない少女のようだった。その頃の彼女はただ一人の吸血鬼で、まさか自分が『女王』と呼ばれることになるとは思ってなかっただろう。けれど彼女は間違いなく、『はじまりの吸血鬼』なのだ。

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