ハンターとヴァンパイア セイヤ編
1
とある町の一室で、セイヤはその男と向かい合っていた。男はカメラを傍らに置き、机の上にメモを広げ、ペンを握る。
「応じてくれてありがとうございます。でも、どうして急に?」
「別に。ただの気まぐれだ。……すまないが、写真は遠慮してくれ」
男は頷くと、カメラをバッグにしまい込んだ。最近出始めたばかりのフィルムカメラだ。安価になったとはいえまだ高価なそれを大事にしているのだろう。
「あなたが吸血鬼、もしくは『月影ハンター』だという話がありますが?」
「まさか。ただ吸血鬼に詳しいだけの男だ」
やはり最近出始めたばかりの白熱球が部屋を薄ぼんやり照らす。机の真上に吊り下げられた電球の中で、フィラメントが音を鳴らす。書き物をするには少し暗いだろうか。セイヤは軽く指を振って、電球の光を僅かに明るくした。その揺らぎに男は気付き、白熱球を見上げて首を傾げる。
「『彼女』と『その男』が出会ったのは、満月の夜だったという」
セイヤは男の気を逸らすように話し始めた。
明るい月の夜だった。
その頃、セイヤはとある小領主の息子だった。まだギリギリ少年と呼べる年齢だった。将来その地を継ぐ者として領内のことは把握しておかなければならないと、自警団の一員を任されていた。
その自警団の一人として、とある屋敷の調査を依頼された。曰く、岬の廃屋に女の幽霊が住み着いている、と。その女は夜の間だけ屋敷に現れ、昼間は姿を見せないそうだ。
角灯を持ってその屋敷に近付く。ノックをせずに扉に手をかけると、鍵はかかっていなかった。数年前に家主の老人が死んで以降、ずっと誰も住んでいないはずの屋敷だ。その割に床もカーペットも痛んでいない。どの窓にも厚いカーテンがかけられている。本当に幽霊がいるのかと探りながら階段を上がる。
二階の一番奥、外の光が差し込むバルコニーに、彼女はいた。
「あんたが『幽霊』か」
「幽霊?」
振り返った彼女は思っていたよりずっと若く、少女のようだった。赤い、大きな瞳が不思議そうに揺らめく。
「あなたは、自警団の人?」
「そうだ。あんたを討伐する」
彼女が指を振ると角灯が消える。何度つけ直そうとしても、火はつかなかった。満月の夜でなければ真っ暗になって何も見えなくなっていただろう。
「討伐? どうして?」
「皆があんたを不気味がってる」
「わからないものが怖いの?」
そう言われて、セイヤは黙った。拍子抜けだ。とても強そうには見えない。それでも剣を抜いて襲いかかる。彼女は指先を軽くこちらへ向けると、その指先から閃光が散った。目を開けていられず、閉じた一瞬の隙に、彼女はいなくなっていた。
後に『女王』と呼ばれることになる彼女との邂逅は、たったそれだけだった。
屋敷から戻った翌朝、領民にどうだったかと尋ねられ、言葉を濁しながらもう一度行ってくる、と言うほかなかった。彼女が何者だったのか、幽霊なのか、それともただの浮浪者なのか、領主が知らないだけで元々住んでいた老人の身内なのか。
昼間のうちにもう一度訪れる。扉をノックするが返事はなく、開けようとすると鍵がかかっていた。出かけているのか、あるいは昨夜のあれは見間違いだったのか。
夜にもう一度角灯を手に提げて行くと、彼女はまたそこにいた。
「いらっしゃい。また来たんだね」
「ここはあんたの家じゃないだろ」
前日より少し欠けた月を見上げている。剣を鞘に収めたまま、慎重に近付く。隙だらけに見えた。今斬り掛かったら簡単に討伐できそうだった。それなのに、指先を軽く振っただけで、謎の光が散った。
「あんたは人間か?」
「たぶん違う、かな……」
「なら、やっぱり幽霊か」
「それも違うと思う」
彼女はゆっくり近付いてきて、セイヤの手を取った。彼女の指先は細く、柔らかかった。その手を首筋に誘われる。温かいし、確かに脈打っていた。
「ね? 幽霊じゃないでしょ?」
「なら、あんたは『何』なんだ」
「……何だろう?」
からかわれているのかと思ったが、本当に何も知らないように首を傾げる。少なくとも人間ではない。もう何十年も生きているから。そう告げられて、セイヤは困惑した。見た目はただの人間だ。光を散らせる、あの不思議な力以外は。
「どうしてこの屋敷に?」
「前の住人にもらったの」
以前ここに住んでいた老人がどんな人物だったのか、実はよく知らなかった。結婚はしておらず、子供もいない。一人でずっと暮らしている、どうやって生計を立てているかもわからない、変な人だったと領民は口々に言った。その偏屈な老人の最期に、彼女だけは寄り添ったのだ。
「……そういえば、あの人は私のことを『吸血鬼』って呼んでた」
吸血鬼。
初めて聞く言葉だった。おそらくその老人が作り出した言葉なのだろう。
彼女曰く、老人は若い頃は何かの研究をして本を書いていた。晩年はその頃に蓄えた資金で生活していたが、数年前に彼女が現れてからは、彼女について研究をしていた。といっても、積極的に何かをしていたわけではなく、彼女の日々の行動を記していた程度だ。家のどこかに手記があるから探してみたら、と彼女は笑う。
その様子に毒気を抜かれ、今日はもう遅いから、と屋敷を後にした。
「その屋敷にいたのは老人の孫娘だった、と報告した」
「せっかく吸血鬼を見つけたのに、見逃したんですか?」
「ああ」
その時はまだ、吸血鬼がどんな存在なのか、何も知らなかった。彼女自身ですらよくわかっていなかった。だから彼女を知りたいと思ったのだ。