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シナリオ

まだ、IDOLiSH7が今ほど多忙を極めていなかった頃。
結成したばかりでデビューの兆しもなく、がむしゃらに小さなライブを繰り返していた、あの頃。
その頃の彼らには、まだ充分すぎるほどの休日があり、その休日に好きなことをしても許される環境だった。
どこへ行っても、何を買っても、誰に見られることもなく、好きなことをできていた。
そんな中にあって、壮五はいくつかのライブハウスに通い詰める日々を送っていた。
何よりも好きな、生の音。
その音楽たちは壮五の心を揺さぶり、昂ぶらせてくれる。
そしてそれを、自分の音楽として取り入れることもできる。
まさしく、趣味と実益を兼ねていた。

その日も壮五は、どこのライブハウスに行こうかと考えあぐねていた。
一度も行ったことのない場所もいい。何度か行った場所もいい。
なんとなく足を止めたのは、細い路地にある、とあるライブハウスだった。
ドアには白いペンキで乱雑に、『HEAVEN’S ROCK』と書かれている。
それがこのライブハウスの名前なのか、単なる落書きなのかはわからない。
後者だとしたら、あまり治安の良い場所ではないだろう。
だが、壮五は育ちの良さの割に、そういった雰囲気は嫌いではなかった。
僅かに漏れる音に興味が湧いて、地下へと続く階段を降りる。

ドアを開ければ、丁度バンドを入れ替える時間だったらしく、ステージ上で人が入れ替わっていた。
それに合わせて観客も出入りを繰り返している。
どちらかといえば、入ってくる客の方が多いようで、ざわめきは大きくなっていく。
入ってすぐのカウンターで、チャージ料とドリンク代を合わせて支払う。
壮五の金を受け取りながら、注文されたドリンクを差し出したカウンターの男は、しげしげと壮五を見た。
「見ない顔だね」
「はい。ここへは初めてです」
てっきり追い返されるかと思ったが、カウンターの男は予想とは真逆で、ニッと笑ってみせた。
「運がいいね。次のバンド、オススメなんだ」
タイムテーブルによれば、次は『Fox Tail’s(ft.K)』というバンドだった。
バンド名からして、Fox Tail’sというバンドに『K』なる人物がゲスト参加しているのだろう。
「黒石くん、すごいよ」
「黒石くん、って?」
「その『K』だよ。黒石勇人くん」
聞けば、その黒石勇人という人物は、数か月前に突然現れて、あちこちのライブハウスに顔を出しているらしい。
特定のバンドを持たず、いつもどこかのバンドにゲストで参加している。
それも、半ば殴り込みのように参加を決定するらしく、もちろん反発するバンドも少なくない。
それでも多くのバンドは、彼を認め、ゲストボーカルとして歌わせる。
それだけの実力のあるボーカルだ。
だがどのバンドも一回限り、多くても三回程度で、やはりひとつのバンドに定住しない。
壮五は正直、その話を聞いて、その黒石という男に、良い印象をもたなかった。
そのバンドの正規のボーカルにも、真剣に黒石を誘うバンドにも、失礼だろうと。
ロックは自由で、破天荒な音楽だ。けれど決して、無礼が許されていいわけではない。
そんな話をしていると、観客たちがどっと湧いた。
ステージの上には、新たなバンドが準備を終えて立っている。
その中心に、件の人物。
「こんばんは。Fox Tail’sです」
ギターを下げたメンバーの声に、観客から歓声があがる。今までどのライブハウスで聞いたよりも、大きな歓声。
広いライブハウスではない。だからこそ、大きく聞こえたのだろうか。
「そしてゲストボーカル、黒石勇人くん!」
更に大きな、耳をつんざくような歓声。
それなのに紹介された黒石は眉一つ動かさず、一言も喋らずにそこに立っているだけだった。
その後、バンドメンバーが自己紹介であったりバンド紹介をする間も、やはり何も言わず。
「じゃあそろそろ、一曲目。黒石くん」
そう促されて、黒石は漸く口を開いた。
「シナリオ」
低い声でそう言うと、すぐに音が始まる。
意外にも物静かなイントロ。
それは黒石がギターを鳴らすことで一変した。
強く、けれど煩くはない。
激しく、けれど品のある。
そのイントロを裂くように、黒石が吠えた。
「『お前は何が欲しい?』」
それはもちろん曲の一部であったし、歌詞もメロディもきちんとあるフレーズで、決して叫んだわけではない。
だがその声は、壮五に『咆哮』という印象をもたせた。
それでいて語りかけるようなその歌に引き込まれて、飲み込まれる。
けれど、どこか飢えている。
まだまだ、もっとだ、と叫んでいる。
まだまだ歌える。それにはここじゃ狭すぎる、と。
サビの直前。
短い前髪から覗く、意思の強い真紅の相貌に捉えられた。
はっきりと、目が合った、気がした。
アイドルのコンサートで、あのアイドルと目が合った、と思うファンは少なくない。
それはほぼ間違いなく、そのファンの思い込みだろうと、壮五は思っていた。
けれど、この狭いライブハウス。
ステージの明かりが客席にまで届くような、薄明るい場所。
目が合ったのは、きっと気のせいではない。
何が欲しい? 何がしたい? 与えられているだけの人生を、何故生きている?
誰かが書いたようなシナリオでいいのか? 自分のシナリオは自分で書いて、自分で演じたくはないか?
そう説くその歌に、思わず叫び出したくなる。
曲が終わって、割れんばかりの歓声と拍手の中、壮五はそのライブハウスを飛び出した。
衝撃的だった。暴力的だった。だけどとても、魅力的だった。
あんなに意志の強い目は、初めてだった。
自分に向けて歌われているわけではないのだろう。
けれどその歌詞は、親の庇護から飛び出した壮五に添った歌詞に思えた。

それからずっと、あの視線が焼き付いて離れない。
もう一度見てみたい。今度は、もっと長く見ていたい。
そう思うのに、それからどのライブハウスを巡っても、黒石に会えることはなかった。
風の噂で、壮五が見たあのライブを最後に、忽然と姿を消したのだと聞いた。
そうこうしているうちに、MEZZO”がデビューし、IDOLiSH7がデビューし、彼らは多忙を極めるようになった。
更に、どこかに行けば好奇の目。何かをすれば逐一報告される。
以前のように自由に振る舞うことはできなくなっていった。

IDOLiSH7が結成一周年を迎え、デビュー一周年を控えたある日のこと。
D-Fourプロダクションの若手アイドルとの対談、という企画が持ち上がったのだ。
IDOLiSH7にとって、TRIGGERやRe:vale以外との初めての交流。
詳細は追って決める、ということだったが、事務所一押しの若手同士の対談に、双方乗り気のようだった。
「D-Fourとの対談かー! 若手とはいえ、すげーことだよな!」
そのニュースに一番湧いたのは三月だった。
ゼロのみならず、多数のアイドル事情に詳しい三月のことだ。
今回対談する『若手』とやらが誰なのかも、おおよそ検討がついているという。
「すごいことなんですか? D-Fourとの対談って」
「すげーよ! D-Fourはさ、ツクモや星影ほどデカい事務所じゃないんだけど、男性アイドルに特化した事務所なんだ。男性アイドル、っていう点では、他のどの事務所にも負けない。多分、ツクモや星影にも」
そこに所属するアイドルの質も、やはり段違いだという。
D-Fourには『ルーキークラス』と呼ばれる研修制度があり、その研修生の中のトップがメジャーデビューするのだ。
研修生とはいえ、レッスン内容も実力も、デビューしたアイドルたちと遜色ない。
とはいえ、どの程度のものなのか、やはり壮五にはピンと来なかった。
「そうだ。今晩、特番があるんだ。30分くらいだけどな。それ、見てみればいいよ」

三月に勧められるまま、壮五はリビングのテレビの前に待機した。
普段テレビをあまり見ない、見るとしてもチャンネル権争いに参加しない壮五が珍しく見たがったとして、メンバーは皆譲ってくれた。
これから対談するであろう相手を知っておきたかった、というのもあるのだろうが。
「前回のドリフェスで優勝し、デビューを勝ち取った、DearDream!」
まず映されたのは、DearDreamという五人組だった。
「みっきー、ドリフェスってなに?」
「D-Four最大のイベントで、まあざっくり言うとドデカいライブだな。その一部としてルーキーステージってのがあって、要するにデビュー争奪戦ってとこ」
前回は彼らが優勝したから、デビューしたということらしかった。
「そして惜しくも優勝を逃しながら、ファンからの熱い要望で異例のデビュー、KUROFUNE!」
続いて映されたのは、二人組だった。
そうそうこの二人がさ、と三月が話し始めたのも聞かずに、壮五は画面に釘付けになった。
彼だ。あの日、ライブハウスで見つけた、黒石勇人。
「あの、この人って……」
「ああ、風間圭吾? 元子役だから、見たことあるっていうファンも結構多いみたいで」
「じゃなくて。こっちの」
「あー、相方の。なんつったっけ。黒石だったっけ。こっちは全く無名の超新星。KUROFUNEの曲って、大半は黒石が作ってんだって。そのセンスも、歌唱力も、ダンスも圧巻。すげーよな、まだ高校生なのに」
すぐ後ろで、負けねー、と環が息巻いている。
けれど壮五は、それを諌める余裕もなかった。
あの時と同じ歌を、画面の向こうで黒石が歌う。
あの時と違って、黒石の後ろにバンドはなく、手元にギターはなく、代わりに隣には優しい顔の男。
黒石は、あの時よりも楽しそうに見えた。飢えたような感じもなく、満たされているようだった。
それはきっと、隣に立つ彼のおかげなのだろう。
対談するとしたら、デビュー直後の彼らとになるだろう、と三月は言った。
こっちは七人。DearDreamとKUROFUNEを合わせて、向こうも七人。
一対一の対談になったら面白いかも、と笑うが、それどころではなくなった。
もしそうなったら。もし、相手が黒石だったら。
そう思うだけで、今から緊張した。

対談の話が正式に決まったのは、それから少し後のことだった。