それはさながら恋のよう
住む世界が違うのだ、と思う。
実は別次元の人間で、などという物語のような話ではなく、同じ世界、手が届く距離にはいるが、決して交わらない人間だ。
相容れない、と言う方が正しいか。
そう、例えば。
「おはよう、柴田さん!」
「……ああ」
毎朝一方的に挨拶をするクラスメイト、その程度だ。
きっと彼は私の名など覚えていないだろう。
大勢いる同級生の中の一人に過ぎない。
目で追っているのは私だけだ。
その感情は、憧憬か、あるいは嫉妬なのか。
自分の席へ行く彼を見届けた後、私は鞄の中に忍ばせた携帯ゲーム機を取り出した。
入っているのは、アーカイブで購入した古いアクションゲーム、たったひとつ。
元々知名度が高いゲームではなく、古さの所為もあって操作性も良くない、と評判は散々だが、やり込めばやり込むだけ面白味のあるそのゲームを、私は密かに気に入っていた。
交わるはずがない、と思っていた世界が交わったのは、本当に唐突だった。
とある朝、いつもと同じように挨拶を交わしてきたかれは、そのまま私の机の上に何かのチケットを置いた。
「隣町の小さい映画館、知ってる?」
それはかなり古い映画のチケットだった。
よくあるシネコンではなく、昔ながらの小劇場で、月に一度だけリバイバル上映を行っている、と彼は口早に言った。
「いきなりで悪いんだけど、一緒に行かねえ?」
チケットに書かれた上映日は今日。
確かに予定はないが、しかしどういうつもりだと彼とチケットを見比べる。
実を言うと、その映画に興味はある。
何年も前に若くして故人となったアクション俳優の最期の出演作で、アクションもさることながらストーリーの評価も高い作品だ。
だがどういうわけかソフト化はされず、各地を転々としているフィルムを待つしかない。
元々アクション映画は好きで、かつそのような理由もあって目の前のチケットは垂涎の的だ。
「……他の者を誘えば良いだろう」
しかし、彼が私を誘う意図が読めない。
彼と共に行く所以もない。
その情報だけはありがたく頂戴することにして、その映画館の場所を詳しく聞いた。
「結構わかりにくいとこにあるから、初めてじゃ行きづらいよ。それに、前売り全部売れたって、オーナー言ってたし」
今から行っても席が空いていない、ということらしい。
だがこの機会を逃しては、次にいつ見られるかわからない。
迷った末、そのチケットを受け取った。
それを見て、彼は満足そうに笑う。
「何故、私を誘う」
「それは、」
丁度予鈴が鳴り、理由を告げないまま彼は自分の席へ行く。
その後理由を聞こうにも、休み時間の度に級友に囲まれる彼には近付きがたかった。
「いやー、おもしろかったな!」
「ああ。前評判以上だった」
映画を見終え、彼は未だ興奮が収まらないのか、嬉々として話す。
斯く言う私も、未だ余韻が残っている。
近くのファストフード店に入り、よくあるセットメニューを注文して席に着く。
彼は食べる暇もなく話し続けた。
「やっぱあの俳優すげーよ。俺も現役時代見たかったー!あと20年は早く生まれてればなー!それから、あのシーンが、」
驚くことに、彼が『良かった』と評するシーンは私が良かったと感じるシーンと殆ど合致していた。
価値観が似ているのだろうか。
そういう相手と話すことなど今まではなかったことだ。
価値観が似ている、というのは話も弾むものだ。
やがて彼も私も落ち着きを取り戻し、話題は次第に学校のことへと移って行った。
「……島、もう一度聞きたいのだが」
「うん?」
「何故私だったんだ。他にも友人ならば沢山いるだろう」
「あー、それな」
彼は残ったバーガーを頬張り、それが喉に詰まりかけたのか、慌ててドリンクを流し込んだ。
ごくん、と喉が大きく動く。
そして一息ついてから、彼は話し始めた。
「あいつら、こういうのに関してはノリ悪くてさ。古いアクション映画に興味ねー、って」
「それだけか?」
「あとは、あんたを誘ってみたかった」
口に運びかけたドリンクをもった手が止まる。
どういうことだ、と僅かに眉根を寄せた。
「いつもゲームやってんだろ。あんた、あんまりゲームやるタイプじゃなさそうなのに珍しいって覗いたことがあるんだ。そうしたらあのゲームだ。俺もあのゲーム好きなんだ」
意外だった。
彼が学校でゲーム機を持ち出しているところなんて見たことがない。
いつも友人と談笑しているのだから。
「あのゲーム好きなやつって、大抵は古いアクション映画が好きなんだってよ。もしかしたら、あんたも、って」
誰が言い出した統計なのかは不明だが、私に関しては正解だった。
賭けてみて良かった、と彼はまた嬉しそうに笑う。
「なあ、柴田さん。……柴田さん、ってのも他人行儀だよな」
そもそも同級生なのに敬称をつける必要もないだろうに。
「勝家。って、呼んでもいい?」
「構わない」
「じゃあ、勝家。学校でも、もっと話しかけてくれよ」
「用事がない」
「うーん、そっか」
話しかけようにも、彼はいつも囲まれている。
そちらから話しかけてさえくれたなら、私はいつでも、いつまでもそれに応じるものを。
距離が縮まったわけではない。
ましてや世界が近付いたわけでもない。
「おはよう、勝家!」
「ああ」
一方的に挨拶をするクラスメイト。
今日もその程度の関係だ。
彼は毎朝、私に声だけかけて、すぐに自分の席へ行く。
そうなればすぐに、そこに人が集まる。
……のかと思いきや、今日は私の前に留まった。
進めていたゲームを一度ポーズし、イヤホンを外して見上げれば、目が合った彼は擬音が聞こえそうなほどはっきりと笑った。
「なあ、また行こうな。あいつら、ノリ悪いし」
「他の者を誘えば良いだろう」
懐古のアクションものが好きだ、という数奇は、私以外にもいるはずだ。
だが彼は違うと言う。
「あんたと行きてーの。あんた、結構楽しいし。俺、あんたのこと好きだしさ」
唐突な言葉に反応できないでいる私を尻目に、彼はいつも通りの日常に戻って行った。
目線の先で歓談する彼に、私の気など知れないのだろう。
憧憬のような、嫉妬のような感情。
気付いたら目で追っている存在。
何かのついでに言われたようなあんな言葉で、密かに舞い上がっている。
それは、まるで。