あなたの知らない話
その日、私達はほろ酔いだった。
どうしてそうなったのかは覚えていないが、かすかな記憶が確かならば、二人でお酒を飲んだことはないねという話になり、お互いに酔ったらどうなるのかという話になり、兄さんは飲んだら酔うのかなという話になり、今に至っている気がする。
結論から言えば私達はお酒の飲み方も酔い方も似ていて、要するに二人とも自我も意識もはっきりとはあるがどこか上機嫌だった。
血も繋がってなければ二人揃って飲んだのも初めてなのに不思議なものだ。
そう言えばマヒルは、オレたちは生まれた時から運命共同体なんだ、といつものように言ってきた。
二人でソファーに凭れながら、動画サイトを雑にザッピングする。
その中で、街行く恋人たちに、お互いのどんなところが好きですか、と聞き回る動画があった。
画面の中の恋人たちは、満面の笑みだったり、あるいは照れてはにかみながら、幸せそうにお互いの好きなところを答えていく。
それを見ていると、当然のように好奇心が湧き上がった。
「はい! マヒルさんに質問です!」
私は体を起こすと、片手をマイクを持つように軽く握り、その拳をマヒルの口元に向けた。
「ん?」
マヒルもどこか楽しそうに、眉を持ち上げる。
「私のどんなところが好きですか!」
「はは、言うと思った。そうだな……」
少し目を逸らしながら、顎を撫でる。
画面に映る見知らぬ男性は、笑顔が可愛いところ、と答えていた。
けれどマヒルはいつまで経っても答えず、逆に私の握り拳を包み込むと、こちらの口元に向けてきた。
「先に答えてくれ。マヒルのどんなところが好きですか?」
「あ、ずるい!」
拳を解くと、すかさずマヒルが指を絡めてくる。
逡巡しながら、すぐ近くにあるマヒルの顔を見上げる。
少しはにかんだマヒルと見つめ合い、やがてその顔にそっと手を伸ばした。
触れられることに期待したのか、マヒルが僅かに目を細める。
けれど私の手は頬をすり抜けて、その横にある耳を軽く引っ張った。
「まず、耳の形」
「……耳?」
意外そうな顔をするマヒルに笑いそうになりながら、今度はこめかみ付近を指先でつつく。
「それから眉毛の形と、少しタレ目なとこと、涙袋」
「要は、顔立ちが好きってことか?」
「横から見たときの鼻骨の形も好きだよ」
鼻先を撫でると、くすぐったそうに笑いが零れる。
造形が好き、というよりは、見慣れた顔だから安心するのだろうか。
「意外だな。もっと中身のことを言われるかと思ったら、イケメンだから好きって言われるなんて」
「イケメン? うーん、イケメンかなあ……」
「こら。泣くぞ」
これでも昔はモテて、という話に頷く。
マヒルがモテていたのは知っている。
だから何度も彼女のふりをして追い払ったのだ。
だけど、マヒルがモテていたのはきっと顔立ちのせいだけじゃないだろう。
むしろ顔立ちなんてオマケなんじゃないか、と私は思っている。
「中身がいいから、顔もよく見えたんだよ」
私の言葉に、マヒルは訝しげに眉を下げた。
どういうことか考えあぐねているようだった。
中身がいいと褒められているのか、顔は普通だと貶されているのか。
私はもちろん前者の意味で言ったつもりだ。
既にほとんど密着していた体を更に詰めて、デートでもしているかのように腕を絡める。
「明るいところが好き。優しいところが好き。時々弱くなるところも、意地悪を言うところも、冗談を言うところも」
マヒルは短く息を吐くと、私の頭に手を乗せた。
その大きな手に安心して身を委ねて、彼の目を見上げる。
「いつも、私のことを考えてくれるところが好き。私を見ようとするところが好き」
「そんなの、当たり前だろ」
その言葉に小さく首を振った。
「マヒル、知らないでしょ。私を見るとき、少し目が大きくなるところ」
「目が?」
「あなたは私を見つけると、少しだけ目を見開くの」
それは他の人相手には起こらない、私だけの特権だった。
本人は隠しているつもりだろうけど、マヒルは案外表情に出やすいところがある。
もしかしたら、その表情の変化も、私だから気付けるのかもしれないけれど。
その中の、些細な変化のうちのひとつだ。
きっと私を見逃すまいとして、マヒルは少しだけ目を開く。
艦隊の人たちは知らないだろう。彼がこんな表情をすることを。
その表情だけは紛れもなく私だけが見れるマヒルで、その瞬間だけは私だけのマヒルだ。
私の頭を撫でていたマヒルの手は頬へ移動し、私の目元を親指で撫でる。
「お前はオレを見ると、少しだけ目を細めるんだ。眩しいものでも見るみたいに」
それは知らなかった。
でも、そう言われると納得もできる。
私にとってマヒルは時に眩しくて、目を細めていても不思議ではない。
幼い頃、何も知らなかった私にとって、マヒルは間違いなく太陽だった。
私の行く先を照らしてくれる人で、私の道標だった。
「それが私の好きなところ?」
「そうだな。あとは……」
マヒルの手が、少しずつ顔を撫でていく。
ついさっき、私がそうしたみたいに。
「柔らかいほっぺたと、低いのを気にしてる鼻と、小さな口と……」
「鼻の話はやめてよ」
抗議しようと意気込んだところで、後頭部を掴まれてぐっと引き寄せられた。
一気に距離が近付いて、鼻先が触れ合いそうになる。
お互いの吐息がかかりそうな距離に、思わずきつく目を閉じた。
するとマヒルは笑いながら、後頭部を撫で下ろした。
「あと、頭の形?」
それだけ言うとあっさりと離れていって、期待していたものは触れてこない。
今度こそ抗議しようと、マヒルの胸を軽く叩いた。
マヒルはそれすら笑うと、私の手を簡単に捕まえてしまった。
そのまま、手の甲に軽くキスをされる。
「全部だよ。有り体な言い方かもしれないけど、全部好きだ。『お前』という存在を構成するもの、その全部が好きだよ」
「その言い方、ずるい」
逃げた、という想いと、恥ずかしい、という想いが、両方込み上げる。
酔いのせいもあって顔が熱くなって、片手で自分の顔を扇いだ。
「暑いか?」
マヒルが通気窓のほうに手を翳すと、小さな窓が僅かに開く。
彼のEvolは、使いこなせればこういうときに便利なものだ。
「開けるとちょっと寒い」
言いながら、マヒルの肩に体を擦り寄せる。
お互いにアルコールが入っているせいか、体が温かい。
私の肩に回された手を毛布代わりにして、マヒルの胸を枕にして目を閉じた。
マヒルもまた私に凭れてきて、私の頭に顎を乗せた。
子供の頃のように身を寄せ合って、いつしか私達は眠りについた。
私達の酔い方はどちらかと言うと楽しいほうで、自我も意識もあるのだ。
意識を飛ばすほど酔ったりはしないし、それはもちろん記憶が飛んだりもしないということだ。
翌朝目覚めたとき、昨夜の話はしっかり覚えていて、どこか気恥ずかしい朝になることを、このときは二人ともまだ知らなかった。